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2018.10.22

181022 山行記録:10/21 京都東山「吉田山から大文字火床、南禅寺」 関西ハイク山友会 11/11 №1418例会の下見

 10月21日(日)の下見は9人中きよもり以外の8名がすべて女性で、華やいだ気持ちでスタートしました。
 でも、大文字火床へのアプローチとして谷道は倒木が多くて大変だろうと考えて、円重寺手前の取付から入ってすぐに左手の尾根に取っ付き、P271mを経て千人塚へ抜ける尾根ルートを目指しましたが、急斜面を登り切ったところで猛烈な藪に行く手を阻まれてしまいました。
 P271mへの尾根は猛烈な藪と倒木で通行不能で、諦めて大文字の右はらいの下までよく踏まれた登山道をあがりました。
 藪漕ぎで一時間位遠回りしたので、火床に着いたら30分遅れでした。

 大文字山からの下り道は東山トレイルNo.42から右への登山道があり、途中で若王子へ下る予定ルートに合流すると思われましたが、午前中の倒木に閉口したので、踏跡が明確な南禅寺への尾根道を下りました。
 途中二ヶ所倒木帯がありましたが、踏跡があったので、難なくクリアして、無事に南禅寺奥ノ院を経て、南禅寺の水路閣に降りて来れました。
 蹴上に着いたら15:45で予定より一時間位早く下山出来ました。
 台風21号の後遺症があちこちに残っているので、例会でも今回歩いたルートを歩くようにします。
181021_yoshidayama_daimonjihidoko_n 【写真】
 Googleフォトの写真アルバム53枚です。
 写真アルバムに歩行軌跡図、断面図も追加しました。
 左の写真をクリックすると写真アルバムが別窓で開きます。

【地図】
歩行断面図
181021t_yoshidayama_daimonji_nanzen
歩行ルート図
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歩行ルート拡大図:前半
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歩行ルート拡大図:後半
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GPSの歩行軌跡データ
「181021T_YoshidaYama_DaimonjiHidoko_NanzenJi.gpx」をダウンロード

大文字火床への歩行軌跡(拡大図)
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東山トレイルから南禅寺への歩行軌跡(拡大図)
181021t_higashiyamatoreiru_nanzenji

【追記】
 吉田山から白川通りへ下る道は途中、町屋の家並みを通り抜けますが、各戸の玄関先に粽(ちまち)がぶら下がっているのが気になりました。
 食べるちまきは「川端道喜」が有名ですが、これは食べられそうもないのでどういう謂われなのか気になって、調べてみました。

粽(ちまき)の由来
その昔、旅人に扮した素戔嗚尊(すさのおのみこと)※1が一夜の宿を借りるために家々を訪ねていたところ、蘇民将来(そみんしょうらい)という男がそれをこころよく受け入れました。蘇民は決して裕福ではありませんでしたが、それでも出来る限り手厚くもてなしました。(裕福であった兄は断っていた)
大変感激したスサノオは、「今後、お前の子孫を末代まで私が護る。目印として、茅(ちがや)の輪を腰につけているように。」と言い残して去っていきました。
そして約束通り、疫病が流行った際も蘇民やその一族は無事に生き残り繁栄しました。
現在のお守りの護符に書かれている「蘇民将来子孫也」は、読んで字のごとく「私は蘇民将来の子孫です。(だから災厄などから護ってください)」という意味になります。
そしてもともと茅の輪だったものは、茅の束を巻いていたため「茅巻き(ちまき)」となり、音が同じ「粽」となったと言われています。
※1素戔嗚尊(すさのおのみこと)とされる場合と、牛頭天王(ごずてんのう)とされる場合があるが、どちらも八坂神社の主神として現在では同一視されている。

Posted on 10月 22, 2018 at 11:53 午後 |

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