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2014.10.14

141014 谷甲州「単独行者」

PhotoPhoto_2 単行本では高すぎて手が出なかったけど、文庫本を手にとって二分冊なので読みやすいと考えて購入。
でも買ったまま1年以上も本棚に積んであって、ふと思いついて読み出したら、面白くて最後まで息を継がず読んでしまった。

加藤文太郎の本は本人の「単独行」、新田次郎の「孤高の人」が広く読まれている。
「単独行」はまだ学生時代に読んだがあまりにも桁外れの山行実績に近寄りがたい雲の上の存在としての印象が強かった。
「孤高の人」が山と渓谷誌に連載されていた頃も知っているが、通しで読んで彼の生涯にすごく共感した。
今回読んだ「単独行者」は加藤文太郎の一人称として書かれていて、彼の内面の葛藤や迷いが細かく描き込まれている。
そのため、これまで偶像化していた加藤文太郎が、すごく身近に感じられ、彼が人並み外れた精進や努力や経験を重ねることによって、超人と称されるまでになったことがよく判る。
さらには内面の弱さや、後悔さらには岩登りでの技術面での未熟さなども小説の大きな伏線として描かれている。
読み進めていくにつれて、彼が決して天才などではなく努力の人であったことが判って親しみを感じた。
また、最後に共に遭難死するパートナーに対しても至極客観的に描かれていて、これまで新田次郎の小説で一面しか知り得ず、槍の北鎌尾根も単独行だったなら生還していたのではないかと考えていたのが誤りだったことが判った。

単独行の是非に関して、小説「単独行者」の中でも、本人の「単独行」でも書かれているとおり、パートナーに合わさざるを得ないというパーティー登山の限界もあるかわり、単独行では克服できないたとえば岩登りなど技術面でのリカバリーというメリットもある。
実際に山歩きを経験している者として、どちらが優れているという結論は出せないが、リスクはすべて自分一人で負うという単独行は自己責任での完結という面では至極単純な山行形態と言える。
二人以上のパーティーでは平常の登降時にはお互いの力関係は平等で負荷が変化することはないが、何らかのアクシデントが発生した途端にその力関係は変化する。
リスクを冒した方は精神的な負荷が増え、パートナーには物心両面での負荷を負わせることになる。
それは場合によってはリスクを冒した者にとっては一生消えることのない傷として残る。
何らかのアクシデントがあっても無事下山できた場合、パートナーはほとんどすぐに自分が背負った物心両面の負荷などは忘れてしまう。
単独行ならそういった精神的なリスク、物心両面のリスクはすべて自ら一人で背負い込むから、生還した場合は次回以降に貴重な経験が残る。

加藤文太郎にとって、最後の北鎌尾根山行が二人だったから遭難したのかも知れないが、自らのマイナス面をカバーしてもらえるパートナーとして吉田氏を選んだのであるから、残されたわれわれがとやかく言うべき筋合いのものではないと思う。

小説を読み通してから、改めて加藤文太郎の「単独行」を読んでみると、作家の谷甲州氏が、如何に「単独行」を深く読み解いたかがよく判る。
その点で客観的に書かれていながら、加藤文太郎の自叙伝的な要素が大きいように感じて感銘した。

Posted on 10月 14, 2014 at 03:30 午後 |

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