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2013.10.12

131012 山行記録:1966年11月12日~13日 大峰・舟の川源流 イブキ嵓谷

 突然ですが、1966年の記録をアップさせていただきます。
 1966年(昭和41年)といえば、きよもりは22才になったばかり、大学4年生ですから、今から47年も昔の記録です。
 当時の記録は「遡行」という年報にまとめられたものも、自分で山手帳に細かく書いていたものも、山行時の写真も、大事に仕舞ってありましたが、東京へ単身赴任している間に自宅が火災に遭って、何もかも灰になってしまいました。
 今回、たまたま「大阪わらじの会」50周年式典の案内をいただき、その縁で半世紀も前に谷遡行に同行していただいた方から会報誌「遡行」のコピーを送っていただきました。國頭さん有り難うございました。

 そのままではイメージだけしか残らないので、イメージスキャナからPDFにして、更にOCRでテキストファイルに落としました。文字認識率は90%位なので修正と編集に結構手間はかかりますが、これで記録はいつでも閲覧できるし、いつまでも残せることになり、何となくうれしいです。
 それにしても、若さの特権で岩登り道具もロープと捨て縄くらいしか持たず、かなりやばい岩場や滝を楽しみながら登っていた様子がわかり、我ながらうらやましいです。

Ibukigura_kurotaki大峰舟の川源流イブキ嵓谷

          一九六六年十一月十二日~十三日

                    平岡光央・国頭迪夫
                    住沢忠義・森井 潔

 川瀬峠より舟の川へ下るセリョウ谷で手づかみしたヤマメを湯の又上流で塩焼きして昼食をすませ、しばらくゆくと谷ぞいの林道は終り、新しい林道が二木山谷の方へ登っている。
 午後一時入谷、直ちに谷はV状になり左岸のヌルヌルの岩をへつって倒木を越え、少し行くとアメ止りの淵、幅四米、長さは十五米、奥には八米滝が落ちる。左岸をへつったが滝の頭までは行けず、少しブッシュの中へにげて上に出た。
 しばらく平凡な川原が続き、左岸に百五十米猪鼻の岩壁を見上げる。上部五十米はブッシュの全くない壁で見事。やがて前方に樋側の滝があらわれる。
 下は二十米の円筒形の滝で、下に小さいが深そうな釜を作り、さらに水は左岸の岩をくりぬいて、滝の右にある高さ、奥行共に三十米の洞窟に入り、まわり込んで流れている。
 滝のすぐ左にクラックがあり、登れそうだが、水に濡れるのはいやなのでやめて、二人は右岸ブッシュを滝近くまいて登る。少しかぶり気味でいやな所である。残る二人は同じ左岸を左上へいったん二十米ばかり登り、三十米の嵓の下のバンドをトラバースして簡単に滝の上に出た。しかし、その上はすぐ七米位の釜になっており、泳ぐよりほかに越える方法がなさそうなので、ついでにあっさりまいてしまった。続いて五米ナメの左岸をへつり、谷が左折して川原を少し行くと右に大きく曲る所に二米の滝が二条になって落ちており、その上は三米の釜になっている。苦労して左岸をへつり、再び左折するとすぐ右に狭い廊下状になった地獄谷本流を分岐して、イプキ嵓谷に入る。
 少し行くと両岸が迫って幅三米長さ十米の深い淵になり、奥に滝が落ちている。左岸は滝のすぐ横に十五米のチムニーがあるのでこれを登り、左へトラバースして、落口に出た。滝は二十米で、下からは二段に見えるが、十米の斜瀑となって飛び出した水が右岸の壁にあたり、くの字型にはね返って下の淵に落ちているのである。その上にはだ円形の釜がある。
 谷が左へ回り込んですぐ右折すると、伏流になり両岸ハング気味の四十米の嵓に挟まれた薄暗い所に出た。正面には八米のナメ、下は浅い釜になっており、夏期ならば滝を泳いで簡単に越せそうだが、今はそうはゆかない。引返してまくのもしゃくなので、一人が強引に右岸を腕力でトラバースし、あとの三人はザイルを使って振子トラバースして無事通過した。釜が左折して少し登ると小さな川原があったのでビバーク。十七時六分。

十三日、朝方より雨、七時出発。谷いっぱいに大岩がいくつも重なった急登を越えて右へ曲り、チョックストンの左を強引に登ると左から岩盤が石垣のようになった二十米斜瀑が落ちる。左岸を簡単に登り右折すると伏流になる。右岸に小さな岩小屋を見て、さらに行くと前方に大き嵓が見えて来る。木が多いので上の方は見えないが二百米以上あるだろう。
 右岸から四十米の涸滝を持つルンゼが入る。その上は嵓の裏に深く、くい込んでいるようである。このルンゼの出合にも五人位入れる岩小屋があった。
 十米の岩塔が谷の真中に立ち、インゼル.状になった所をすぎると谷は三分する。右は本流で三十米樋状美瀑が落ち、正面谷は涸れたルンゼとなり、左の谷は先程の二百米の嵓の続きで小ルンゼとなって、少し奥に四十米の水量の少ない滝が落ちている。
 正面のルンゼを少し登って右手ヘブッシュを分けて滝の落口に出た。上には五米滝とだ円形の美しい釜を持つ十五米滝があり、いずれも簡単に越せるが、その上が幅三米の深い淵になっており、へつれそうもないので少し引き返して右岸五十米の嵓の上を大きくまいた。夏ならば、こんなことはせずにすむだろう。谷に下ると、そこにはさらに四十米二段の樋状ナメがかかる。下流の方を見ると、水は伏流になっているが、所々に水たまり状の小さな釜があり、その下は先程の淵に続いているようである。
 滝は右岸をまいて.簡単に越え、少し左へ曲りながら、水のない急な川原をどんどん登ると、突然、正面に八十米の滝が落ち、両岸共に百米以上の嵓に囲まれた所に出た。左岸は左程でもないが、右岸はずっと奥まで嵓が.長い幅で続いている。滝の水量はほんの申訳程度で、それも中間のひさし状にハングした岩に当って飛び散り、霧となってわれわれの頭上に舞っているのである。
 さて、この滝の突破方法であるが、右岸はまず望みがないので、左岸なるべく滝寄りを登ることにして取っ付いた。
 ブッシュをたよりに少し登ると、ルンゼ状になった手がかりのない十五米の岩場になり、ザイルをつけて強引に登る。その上から滝の落口ヘトラパースしようとしたが、相当に難しいのでやめ、さらに上に続く二十五米チムニー状ルンゼを登る。チョックストンが多く乗っ越しに苦労したが、なんとか上に出て、ザイルで荷上げし、無事に少し安定したテラスに出た。しかし上にはさらりに十五米の急なルンゼがあり全員相当疲労していたので、ツエルトをかぶって昼食をとる。
 十五米のルンゼは二人が正面の出口のハングした草つきの斜面を小さなホールドをたよりに登り、残る二人は左のチムニーに入り、少し登って木をたよりに、ホールドの乏しいスラブを微妙なバランスで登って、漸く八十米滝の落口が下に見える支尾根のコルに出ることが出来た。
 雨は朝から間断なく降っているが、あまり気にならない。しかし、雨とルンゼの土とで全身泥まみれ、その上この長いガリーの直登に正味四時間も費したので日没も近い。このまま谷をつめては雨中のビバークは必至なので遡行はここで打ち切り、支尾根を登って奥駈道に出ることにして小休止の後出発した。少し上流には四十米斜瀑が雨にけむっているが、左岸を簡単に登れそう。その上で谷は右折していて奥は不明であるが、もはや水量もほとんどないようなので、たいしたこともなく、急なガラ場になって、奥駈道に突きあげているように思われる。
          (記・森井 潔)

19661112_1113_ibukiguradani_map_2(タイム)
十二日
林道終点(十二・五八) 樋側の滝(十三・四九) 本流分岐(十五・〇七) 振子トラバース(一六・二〇) ビバーク(十七・〇六)
十三日
出発(七・〇〇) 三十米樋状滝(八・〇五) 八十米滝(九・四五) 八十米滝上(十五・四〇) 奥駈道(十六・三八) 彌山小屋(十七・三二)

〔備考〕
 便宜上この谷の名称をイブキ嵓谷としたが昭和初期の名著中川秀次他の『大峰山脈と其溪谷』によれぱ黒滝谷とでもするのが正当ではないかと思われる。
 元来イブキ嵓とは五万分の一図上千四百乃至千五百米にかけて書かれている岩壁記号を指し、千六百乃至千七百米にかけて書かれている岩壁記号は黒滝であると思う。だからイブキ嵓とは前記のイブキ嵓から北北西に直接明星岳へ突きあげている谷を指すのが正当ではないだろうか。この谷のツメ付近は鬼の口というハングした岩壁になっているとのことである。(いずれも『大峰山脈と其溪谷』より)
 しかし実際には両方の壁共に地図より少し西側にあり、百米位下に位置するものと思われる。だからわれわれの遡行したのは黒滝谷という名称を付すのが正当であり、イブキ嵓谷とは、三十米樋状の対岸の四十米細い滝を持つ小谷を指すものである。
 蛇足ながら千百米付近の左岸にある岸壁記号はビバーク地点下流の四十米を指し、なお下流の右岸高くにある大きな岩壁記号は左岸にある猪の鼻の岩壁の誤記ではないだろうか。
 また湯の又より東方にあがっている尾根は中尾といい良い道が明星岳に通じている。

【参考】 他会メンバーの方がアップされた最近の遡行記録で、写真も豊富です。
舟ノ川 イブキ嵓谷 2008年8月10日~11日の遡行記録
メンバー けも氏、にゅで氏、あう氏 
舟ノ川 イブキ嵓谷
 写真もお借りしました。あうさん、有り難うございます。

Posted on 10月 12, 2013 at 08:41 午後 |

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