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2013.03.20

130320 山行記録:3/19 紀州・高野山町石道① /関西ハイク山友会 第257回例会

130319_tyoishimiti_1_01130319_tyoishimiti_1_02 過去二回雨で中止になった高野山町石道①ですが、昨日は絶好の快晴に恵まれ、初夏を思わせる陽気の行程を歩きました。
 昨年9月21日(金)に開催された町石道②では矢立№60から高野山上・大伽藍№1まで歩きましたが、今回は山麓の九度山・慈尊院№180から矢立№60までなので距離は倍になり、アプローチを含めて約18kmのロングコース、町石道②の19名より参加者は大幅に増えて32名の盛況でした。

 慈尊院№180から階段を登って、コンクリート道に入り、富有柿の果樹が斜面全体に広がる急な山腹を巻くようにしながら約250m登って展望台№165に着く頃には23℃もあってうっすらと汗ばむ暑さでした。
 雨引山の山裾を巻くと杉や檜の植林帯の山道に入ると木陰道で涼しくなり、傾斜もゆるくなって笠取峠№147を通過し、六本杉峠№136で昼食を摂りました。
 六本杉まででやっと44町だから、矢立まではあと76町もありますが、町石道はゆるい登りになって中間の二ツ鳥居№120までわずか50mの登りです。
 二ツ鳥居でゆっくり休憩し、下り道に入り、ゴルフ場のグリーンを右に見ながら笠木峠№96で右折し、矢立№60に向かいました。
【山行記録】
紀州「高野山町石道①」慈尊院から矢立 関西ハイク山友会 第259回例会
日 時:平成25年3月19(火)
9:35~16:58

参加者:32名/リーダー:仲谷さん、Sリーダー:沖さん

コース:九度山駅―真田庵―慈尊院―雨引山分岐―六本杉峠―古峠―二ツ鳥居―笠木峠―矢立茶屋―紀伊細川駅
レベル:一般向き (ロングコースながら整備された参道)

地 図:国土地理院25000分の一「橋本」「高野山」、ヤマケイ分県ガイド「和歌山県の山」
 歩行断面図歩行ルート図

行 程:約18.0km 所要時間:7時間23分(歩行:5時間19分、休憩昼食:2時間04分)、天候:快晴、気温:20℃→23℃→17℃
 阪神御影6:34=7:02梅田7:04=7:12難波7:20=8:34九度山
 九度山駅(9:30集合、20℃、90m)9:35―慈尊院№180(85m)10:00~08―丹生丹生官省付神社№179(100m)10:11~13―立休憩№168(240m)10:39~41―展望台№168(280m、23℃)10:48~56―笠取峠№148(510m)11:42―六本杉峠№136(570m、昼食)12:05~49―足治療№130(610m)13:03~16―古峠№124(丹生都比売神社分岐、620m)13:27―二ツ鳥居№120(650m)13:37~43―応其池№113(ゴルフ場、570m)13:58~14:04―子安地蔵堂№111(550m)14:08~10―立休№98(550m、23℃)14:34~37―笠木峠№86(560m)14:59~15:07―矢立№60(490m、17℃)15:55~16:16―紀伊細川駅(360m、解散)16:58
 紀伊細川17:23=17:54橋本17:56=18:48難波(懇親会)

費 用:100円(参加費)、交通費は3dayパスを利用

130319_kouyasantyoishimiti_1_018 【写真】
 Googleフォトの写真アルバムです。
 写真260枚に歩行軌跡図、断面図も追加しました。
 左の写真をクリックすると写真アルバムが別窓で開きます。

【地図】
歩行断面図
130319t_koyasantyoishimiti_1danmen
GPSトラックの歩行ルート図
130319t_koyasantyoishimiti_1
GPS軌跡データ
「130319T_KoyasanTyoishimiti_1.gpx」をダウンロード
【町石の解説】
町石と里石のかたち
町石と里石は六甲山麓などで切り出された花崗岩でできています。高さ3m、幅30cm、750kgもあるこの大きな石は、瀬戸内海から紀ノ川を経て慈尊院から運び上げられました。

20年の歳月をかけて建立された216基の町石と4基の里石はすべて五輪塔の形式で、一本の石に下から地、水、火、風、空を表現して方、円、三角、半月、団の形の五輪を積み上げたような形になっているのが特徴です。五輪塔は平安時代中期以降、各地で建立されるようになりましたが、高野山が発祥の地です。

町石の正面には胎蔵界百八十尊の諸仏(慈尊院~壇上伽藍)、金剛界三十六尊の諸仏(壇上伽藍~奥の院弘法大師御廟)を表す梵字と寄進者名、左右の側面には氏名、寄進の年月が陰刻されています。

町石道が開かれた当初、弘法大師は慈尊院から高野山までの道沿い一町約109mごとに木製の五輪卒塔婆を建立したとされます。文永3年(1266)以降は、鎌倉幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの広範な寄進により朽ちた卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、ほぼ完全な形で今日に遺されています。
【町石のデータベース】
五輪笠塔婆詳細
高野山町石個別解説
【町石設置の歴史的背景】
高野山町石の由来
【町石追加】
見過ごした町石7基の写真を和歌山県の石仏と石塔から拝借しました。
№160、№153、№152、№122、№119、№89、№85の7基です
Tyoishi_160Tyoishi_153Tyoishi_152Tyoishi_122

Tyoishi_119Tyoishi_089Tyoishi_085

Posted on 3月 20, 2013 at 10:58 午前 |

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