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2006.05.16

060516 本:「十津川水害と北海道移住」

【前置き】
 6月は3月決算の会社が一斉に株主総会を開催しますから、きよもりのようにその準備で帰りが23時を過ぎるサラリーマン諸氏も多いことでしょうね。
 休みは山歩き、平日は帰宅23時過ぎでは、パソコンに向かっている時間もなく、食事を済ませたらつい横になって寝てしまう日々が続いています。でも、歳のせいか朝5時過ぎには決まって目が覚めますから、出勤までの3時間でHPの更新などしています。
 でも今朝は別の用件が入って、HP(ホームページではなく、ヒューレット・パッカード)のプリンターで目一杯カラー印刷をしていて、結局HP(こちらはココログ)の更新をしない間に、あわただしく飛び出してしまいました。
 まあ、健康だからこそこんな過激な?遊びと趣味と仕事の連続に耐えられるのですから、神様に感謝しないといけません。

 【本題】
060517_totukawasuigai_001 それはさておき、5月の連休に歩いた小辺路での史跡がきっかけで明治22年の大水害を背景とした「新十津川物語」第1巻を読んだ話は書きましたが、一昨日音羽山から帰ってきたら、通販で注文していた「十津川水害と北海道移住」(蒲田文雄・小林芳正著/古今書院刊¥3000+税)がポストに入っていました。
 忙中忙在り等と言いながら、よく次々と本を読んでいる時間があるなと思われるでしょうが、無芸多趣味がきよもり流ですから、出来ることは寝る時間を減らしてでもやってみないとすまないのですね。
 この本は小説ではなくて、『シリーズ日本の歴史災害』、というれっきとした学芸本です。全6巻で関東大震災や、今は余り知られていないというか、きよもりも知らなかった明治24年の濃尾震災、昭和和2年の北丹後地震、明治21年の磐梯山爆発、戦後最大の有田川水害を6巻に分け、当時の記録を主体にまとめ、著述されています。
 もちろん、現地に住んでおられる方はともかく、平成の時代になって過去の歴史を詳細に書かれた本に飛びつく人は余りおられないのではないかとも思いますが、巻頭言にも書かれているとおり、「天災は忘れた頃にやってくる」のですから、歴史に学ぶ意義は充分あると思います。
 ただ、十津川水害は、550年間も何事もなかった「腰抜田」の史跡を完全に洗い流すほどの未曾有の大災害ですから、遭難された方はただただ運が悪かったと思うしかないのかも知れません。
 きよもりの住む神戸でさえ、11年前の1月17日、誰にも予測できない阪神淡路大震災が発生しましたが、遭遇したときの心の準備は普段から出来ていても、実際に天災に遭遇するか否かはそれぞれの人の生まれついての運みたいなものがあるような気もします。さしずめきよもりなどは悪運だけは昔から強い方なので、おそらく死ぬまでこういった天災に遭わずニアミスだけで終わるのではないでしょうか。

【本当の本題】
060517_totukawasuigai_oohatatoro この本は冒頭からなんとカシミール3Dで描かれた断面図や国土地理院のマップが頻繁に出てきてまずびっくりします。その中には大畑瀞という、水害で出来た新湖の内、唯一現存する山中の堰止め湖も出てきます。ここのすぐ下を5月4日にヒッチハイクで神戸のお姉さんお二人に乗せていただいて通ったのですから、やはり興味津々ですね。
 以下は、本からの引用です。
 


060517_totukawasuigai_oohatatoro_photo 西十津川村大字永井にて
 久保谷新湖新湖
 明治22年(1889年)8月20日午前6時頃
 「久保谷山」で縦350間=約640m・横300間=約550mおよび「大畑」の山地で縦300間=約550m・横60間=約110m余りが同時に崩壊した。
 両側の山が崩れる直前には黒煙と水蒸気が立ち昇り、発光するのが目撃された。
 山地は鳴動して台地を震わせながら滑落した。
 大木を載せたままの土砂は渓流に流れ込み、押されて波のようにうねりながら六七町=700m余り流れてその場で十津川の支流の西川を閉塞した。
 時間の経過とともに推移は40間=約73m以上の高さまで上昇し、それに伴って水面は拡大していった。
 濁流は上流に向かって十五六町=1.7kmばかり遡上し、周囲三〇余町=約3.3kmの新湖が生じ、水面は渓流に沿って入り江のように広がった。漂着した材木は停泊している船のようであり、港湾を連想させる光景が生じた。数日後に決壊したが、湖の面積の一〇分の七は残ったままになった。久保谷新湖を発生させた崩壊の一部は久保渓の上流部を塞ぎ止めた
 水量の少ない小さな渓流であり、新湖への流入量と新湖から伏流水として流出する量がバランスして閉塞部を越流しなかった。そのため、百十余年を経過した現在も写真のような姿をとどめている。大畑瀞と呼ばれるこの新湖は現在まで残存している唯一の新湖である。

Posted on 5月 16, 2006 at 11:53 午後 |

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