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2006.05.13

060513 新十津川物語にコメント

【追記にコメント】
060504_koshinuketa_002 今朝(5/13)起きたら、昨日の記事におじゃま虫さんからコメントが入っていました。
 リンクのURLリンクのURLが書かれているだけでしたが、飛んでみると・・・
 きよもりが紹介した「十津川水害と北海道移住」の本文からの画像入りで抜粋した記事で、画像は小さいのですが、まさに千本の細引きや、増水と山抜け(大規模崖崩れ)によって出現した新湖、それによって水没した山の斜面にあった家々の様子が忍ばれます。
 是非ご覧下さい。
 本誌は通販で発注しましたので、機会があればまた紹介させていただきます。
 
 この水害で熊野本宮の本殿が流失し、現在の場所に遷宮したことは有名ですが、今回の小辺路の山歩きで、三浦口の手前の五百瀬に建てられた「腰抜田」の史跡の説明文に記述されていた、『腰抜田は明治の大水害によって埋没し、現在は歴史を秘めたまま川底に眠っている』という文面からこの地も大水害の被災地であったことに思い当たりました。
 この田んぼも南北朝の初期(1330年代)から明治22年(1889年)まで550年間何事もなく残っていたのが、まさに未曾有の大水害で土砂に埋まってしまったのですね。

 ついでに、大塔宮 護良親王の大塔は現在の大塔村の名前の由来であり、この大塔というのは護良親王が修行された比叡山の大塔に由来していたと分かりました。思わぬところで、比叡山と熊野古道が繋がっていたのですね。納得!

Posted on 5月 13, 2006 at 06:34 午前 |

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