« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »

2005.01.31

050131-2 お疲れ様→満喫ー叡山

050131_075001.jpg 30cmもあると雪山を堪能出来てよかったでしょうね。
 雲母坂はキツソウなので敬遠していましたが、下見を兼ねて歩いてみます。
 今週末はまだ行き先を決めていませんが、雪を避けて熊野古道の和歌山側のコースを何処か歩いてみようと思います。

 伊丹空港から見る六甲は冬空が戻って寒そうですが雪は見えません。

 15年振りの都城は日差しが眩しい程でコートが場違いです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

>"UO"
満喫ー 叡山:銀閣寺道より東山コースの最終段階にはいり、雲母坂コースと出会ってから雪道になりました。 道標杭が隠れるくらいですから3〜40cmといったところでしょうか、ラッセルされていて幸運でした。横高山から北は完全な冬山になって、青空でありながら風花が舞い、ラッセル・トレイルが消えたり,水が流れたあとなのか氷の斜面が続いたり結構アイゼンワークを満喫しました。初めての東山コースは変化があって結構たのしめましたし、全般としてもキツイ所はありませんから、月例コースに向いています。 来年の2月に取り上げては?来週は二の瀬から清滝を歩きます。 こちらは四つ爪でよいでしょう。多忙なようですね、体に気をつけて!
UO

Original Message -
From: "きよもり"
Sent: Sunday, January 30, 2005 11:00 PM
Subject: RE: 叡山
車窓から見る奥比叡の尾根筋には雪があったのでおそらく苦労されたでしょう。武生からの帰りが早かったので、三宮まで戻って「オペラ座の怪人」を見ていました。映像のきれいなミュージカルです。UOさん向きではなくてアベック向きで、場内もアベックと、女同士ばかりでしたが、最終回なのに結構入っていました。明日からまた宮崎です。先週から1/28神戸にいただけで東京、武生、宮崎と渡り歩いています。
きよもり 【山歩仲間】
E-mail : KGH03517@nifty.com
URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
05.01.30 23:00

Original Message-
From: uo
Sent: Sunday, January 30, 2005 6:44 AM
To: きよもり
Subject: 叡山
今日は出町柳から東に東山コースを比叡山に登って戸寺におります。 雪は??
UO

Posted on 1月 31, 2005 at 10:03 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050131 拝復50:寒波到来(祝拝復50回)

O子様
 いつもすてきな絵と暖かいお言葉をいただき恐縮です。

 伊豆は東京にいた時に会社の社員旅行で4、5回行きましたが団体旅行ではなかなか自由な時間が取れなくて観光地巡りの印象しかありません。
 でも、NET普及の仕事がお陰様で順調に展開が進んで、それまで総務の仕事と兼任でやっていたのがNET推進チームとして東西でスタッフも揃い、本格的な展開を始めて一年くらいして東西合同で西伊豆の土肥温泉に泊まった時の海に沈む夕日を崖下の海と接した露天風呂に浸かりながら眺めた景色を想い出しました。
 そこはホテルから長い階段を下りたところで、もちろん混浴だったのですが、たまたまきよもりがあがったあと、一緒に入っていた仲間の男連中が湯から上がりかけたところに女性が数人入ってきて、湯槽から出るに出られなくて困ったのが後々まで話題になっていました。その頃はまだみんな若くて、一緒に行った東西の女性達もすでに結婚して子供さんが学校に通う年頃になりましたから、月日の経つのは早いものです。

 昨日今日は仕事で、武生でした。土曜日の大阪駅は女性同士の温泉目当ての行楽客がたくさんいましたが、大阪からだと芦原温泉や加賀の温泉郷が東京からの伊豆半島に当たる身近な行楽地になりますね。でも春や秋が似合う、伊豆とは正反対に北陸の温泉は蟹がおいしい冬場が人気のようです。

 夏休みは五日しかありませんが、普段、代休や有給?を取る機会がないので、前か後ろに2日程度休ませてもらって、白根山から皇海山までの群馬栃木の県境尾根を縦走できないか企み始めています。尾根道で3泊4日になりそうですから、軽量化が課題です。もちろん初めてのコースですが、水場は随所にあるらしいので、GPSを使えばコースは外すことはないと思います。問題は4日間歩き通すとなるとちょっと先輩やNWHさんを誘い難いというか、一緒に付き合ってもらえないのではないか心配です。

 明日から(もう今日になりましたが)はまた、宮崎なので出張続きですが、それはそれでまた楽しいものです。元来家にいるのが苦手なのは母親譲りです。上海出張も向こうでパソコンでココログの更新が出来ないと困るななどと、仕事よりもそちらに気が行っていますから、困った性分です。

 まだ寒さが続きますのでご自愛下さい。

ξ  きよもり 【山歩仲間】
■P E-mail : KGH03517@nifty.com
 ̄  URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
_/_/_/_/_/_/_/_/ 05.01.31 0:22 _/_/_/_/_/_/_/_/

"O子" 2005/01/30 17:13
宛先: "きよもり"
件名: 寒波到来

050130_osan_
きよもり様
 関東地方はすっぽり寒気の中に入ったようです。先週は総勢六人で伊豆今井浜へ二泊三日のドライブ旅行に出かけました。東名~厚木~小田原、と専ら海辺を走り凍結の恐れのある山道を避けました。
 昔、子供たちが小さい頃によく走った道も今はすっかり舗装されて、かってガタガタ道で車のオイルパンをこすり難行苦行で通った蛇石峠も、狭いながら舗装されて所々でpassing placeが設けられ、ふとスコットランドの田舎道を思い出しました。河津桜、菜の花、アロエ等の花々が咲き《水仙》はもう終りに近く、好天気に恵まれひと足早い春の気分を味わいました。
 二日目の朝は六時半に水平線に朝の太陽が四方を紅色に染めながら姿を見せ水平線から手前の砂浜まで海面に紅の扇を拡げるように光りを投げかけ何とも美しい瞬間でした。その光りの中にサーファーの姿が黒いシルエットで浮かび、映画のシーンを見ている様な時間を過しました。
 夜は満月が海に姿を映し、誰の行いがよかったのかは定かではありませんが、温泉も風景もお魚も(金目の煮付け)中々の旅を楽しむ事が出来ました。
 来月は中国へお出かけとか、それまでの体調のご無理のありません様に祈ります。
 いつかきよもりさんの手造りの標識?を拝見したいと思いますが、山を歩かねば~ですね。
 いつの間にか我々の周囲にもココログの愛読者が殖えて居るようです。今日は一日二階で夫婦二人でゴロゴロして過しました。
 O子

O子様とココログを通じての交流が始まって今回が50回になりました。
O子様有り難うございます。
ココログを始めて1年1ヶ月ですから、8日に1回の割でお手紙を頂戴したことになります。
その都度見事な絵をお送りいただいていますので、貴重なコレクションが出来、ココログの過去LOGは宝物になりました。なかなか印刷して保管する時間的余裕もありませんが、この調子だと今年中にまたmorii4とか5とかに広げないといけませんから、@niftyの容量が150Mから1Gくらいまで拡大してもらえるのに期待したいものです。

Posted on 1月 31, 2005 at 12:52 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.30

050130-2 オペラ座の怪人

050130_185701.jpg 仕事が早く終ったので、例によって三ノ宮で映画を見てかえります。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 30, 2005 at 06:58 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

050131 武生は暖かい

050130_063401.jpg050131_Takefu_SpeedTEST 先週から雪は降っていないそうです。
 昨日は終日倉庫に入っていましたが、3年前に同じ仕事でこちらへ来た時は底冷えする寒さで、街中でも道端に雪が残っていましたが、今回は山の方はかなり白いものの、市内は全く雪が残っていませんでした。
 でも、今日からは寒くなるそうですから、前回のように風邪をひいて帰らないよう留意したいと思います。

 朝6時に起きて、ホテルでPacketWINの携帯接続をしてみました。
最初はわずか64Kbitしかでないのでがっかりしましたが、2回目に再接続すると498Kbitになりましたので、auの中継アンテナを捕らえていなかったのかも知れません。
 2月中頃には上海へ行く予定なので、海外での接続も設定しておかないといけませんが、ホテルではLANが使えたと思いますから、設定次第では1M程度の速度は出るかと思います。ホテル内は無線LANにはなっていないと思いますからLANケーブルを忘れないようにしないといけません。

ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 30, 2005 at 06:37 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.29

050129 比良は快晴

050129_075601.jpg サンダーバード1号の車窓から見る比良は朝日を浴びて光輝いています。
残念ながら今日は仕事で武生に行きますから、2週間先までお預けです。週末なので車内は蟹と温泉を訪ねる女性客が多いようで羨ましいです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 29, 2005 at 08:08 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.28

050128 電脳煩悩78:彫刻機とPrint Spool

050129_0434Shiranui 重廣さんの「ラウンド琵琶湖」の企画にあわせて、県境沿いに105個点在する三角点に山名、点名を表示するプレートを作成し始めています。
 ローランドDGの彫刻機(EGX-20)を購入したのは既に4年近く前ですが、江若丹国境の導標作りが目的で手で彫っていては大変だし、ペンキ書きでは風雨で消えるので、当時30万円もの大金をはたいて、自費購入しました。お陰で200枚近く設置した導標は先日の雪中縦走でも健在を確認できました。
 機械の大きさとしては個人が自宅に置く限界だと思いますが、木板でもアクリル板でも彫れますから、久し振りに再起動したのを機会に、先日間違えてHPに掲載した東京自宅の表札を作りましたが、さすがにカットなども入って結構見栄えのよいものが出来て満足しています。
 いま、東急ハンズなどに行けば表札を好きなデザインで作ってくれますが、数千円はかかるでしょうから、材料費200円程度なので、山歩仲間の皆さんも、もしご希望あれば実費でお作りします。

長い前置きですがここから本題です:
050128_PrintSpooler050128_Spool そんなことがあって、昨日まで東京にいましたが、帰りかけに息子のペンネームで郵便が来ることが多いので、ペンネームの表札を作ってと頼まれました。神戸に23時過ぎに帰宅後、夜中に早速デザインして作り始めましたが、彫刻機の電源を入れるとその前に作った表札の彫刻が始まってしまい、彫刻機の電源を切っても、パソコンの印刷ドキュメントを削除して再起動してもどうしても前の彫刻データが残っているらしく消えてくれません。
 2時間以上試行錯誤して、最後にローランドDGに問い合わせメールを入れてしまってから、ローランドDGのホームページからサポートのQAを念のために見たら、ズバリ以下のQAがありました。
http://www.rolanddg.co.jp/support/ht/egx-20.html#34291
入出力に関したエラー
Q
WindowsXP/2000でプリンタスプーラにあるデータを削除したいが、キャンセル(削除)を選択しても消えない
A
次の様に操作してみてください(WindowsXP の場合の操作例)
・[コントロールパネル][管理ツール][サービス][print spooler]で[停止]を選択
・\WINDOWS\system32\spool\PRINTERS にあるデータを削除
・[コントロールパネル][管理ツール][サービス][print spooler]で[開始]を選択
・PCを再起動

さすがは専門メーカーです。この処理で完全に初期化されて正常になりました。
それにしてもCドライブの\Windows\system32\spool\PRINTERS には150Mバイトものプリントでデータが残っていて更に驚きました。
プリンターの初期化が機械リセットやパソコンの再起動で出来ない時は、この方法を確認されてみる値打ちがあると思います。

Posted on 1月 28, 2005 at 01:55 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.27

050127 下町

050127_081301.jpg 関東大震災でここ本所石原地区は完全に破壊されましたが、震災後区画整理されて8〜12mの道路が碁盤の目に通されてスッキリしました。それでも下町らしく家の軒下や歩道の端には植木や花が育てられて通る人々の眼を楽しませてくれます。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 27, 2005 at 08:40 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.26

050126 霙と梅

050126_074001.jpg 昨日とは一転、今朝は霙混じりの悪天候になりました。軒下の寒梅も寒そうです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 26, 2005 at 07:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.25

050125-2 これが寒椿

050125_115101.jpg 1ヶ月くらい前(12/25)に寒椿と思って掲載した写真は山茶花(サザンカ)の間違いでした。お教え頂いたMEDさんありがとうございます。
今、大きな蕾を付け始めた葉が肉厚な木が寒椿ですね。
今朝の花は何という木でしょうかYNTさん?
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 25, 2005 at 12:28 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050125 下町の冬

050125_075201.jpg 昨日から東京の子会社に仕事で来ています。
神戸より寒いようですが、快晴の空の下で日差しを受けて花も輝いています。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 25, 2005 at 08:48 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.24

050124 訂正→今日からは東京

050124_052501.jpg050123_195401.jpg ウッカリ写真を確認しないで添付してしまい、間違えて彫刻機で作った表札を送ってしまいました。
こちらが正式です。

 昨日は山帰りにNWHさんと灘温泉で体をほぐして、自宅近くのお店でモツ鍋を食べて体の中からも暖まりました。
今朝はまたもJRの始発に飛び乗って東京です。休み明けなので東京へ戻るサラリーマンでほぼ座席は埋まっています。単身赴任お疲れ様。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 24, 2005 at 05:37 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050124 今日からは東京

050124_052501.jpg050123_213301.jpg 昨日は山帰りにNWHさんと灘温泉で体をほぐして、自宅近くのお店でモツ鍋を食べて体の中からも暖まりました。
今朝はまたもJRの始発に飛び乗って東京です。休み明けなので東京へ戻るサラリーマンでほぼ座席は埋まっています。単身赴任お疲れ様。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 24, 2005 at 05:30 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.23

050123-3 車内宴会

050123_164101.jpg九度山を16時29分発で帰路に着きました。予定より70分早い電車の車中は時ならぬ宴会場です。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 23, 2005 at 04:50 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050123-2 仕上げは柿の葉寿司

050123_153601.jpg050123_153602.jpgYNTさんがいると食い物には目がありません。
15時30分、予定より1時間半も早いです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 23, 2005 at 03:42 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050123 一里石

050123_133501.jpg快調に飛ばして13時30分にはあと1里まで降りて来ました。一行13名雪も少なくて結構ピッチが早いです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 23, 2005 at 01:41 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050123 三角点標作り

050122_165701.jpg050123_005501.jpg 久し振りにROLANDの彫刻機を使って重廣さんの「ラウンド琵琶湖」企画の三角点標を作りました。
機械を動かしたのは1年半振りで、設定も登録も最初からやり直しましたから結構時間がかかりましたが、お陰で久し振りに自宅でゆっくり静養出来ました。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 23, 2005 at 12:57 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.22

050122 若丹国境52:続・三国岳~尼来峠

 一昨日の行程に続き、コースの写真を掲載しますが、写真だけでは分かりにくいでしょうから、日ごとの行程と、地図も併載させていただきます。重複お許し下さい。

041229_Mikunidake_NagataniTouge 12/29 9時過ぎより雪、14時頃より止む
 JR灘6:25⇒JR各停⇒6:28六甲道6:33⇒JR快速⇒7:31京都7:46⇒山陰線⇒9:31山家9:53⇒京都交通バス⇒10:37於身
 於身(210m)10:37→府道1号・雪→11:30老富(255m)11:42→11:57大唐内(オオカラチ)村→12:11林道分岐・右三国岳、左折(300m)12:21→林道→12:30林道終点・渡渉→12:46迷の石組(道は谷沿・昼食370m)13:25→13:45左斜面の葛折り→13:55胡麻峠(524m)14:23→14:40鉄塔1→14:53三国岳・三等△616.6m15:20→16:00P545m手前(520m)16:10→16:20P545m→16:42急尾根下→17:05P474m登り途中(ヘッドランプ)17:25→17:40鉄塔道分岐・左へ→急斜面を谷へ→18:16谷18:25→18:45作業道→19:03府道1号線水場下(水汲み)19:10→19:18永谷峠(275m、幕営、20:23夕食、21:00就寝)

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge001041229_31_MikuniDake_AmagiTouge002

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge003041229_31_MikuniDake_AmagiTouge004

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge005041229_31_MikuniDake_AmagiTouge006

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge007041229_31_MikuniDake_AmagiTouge008

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge009041229_31_MikuniDake_AmagiTouge010

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge011


041230_NagataniTouge_NikoTouge 12/30 深夜大雪、朝方止む、午後より大雪、夕方止む
 府道1号・永谷峠(6:00起床、6:40朝食)8:45→農道途中より横の竹藪を直登し、尾根へ→9:30妻谷尾四等△412.2m9:51→平坦な尾根→10:35急登の斜面上・右折10:56→11:03迷点4右へ→11:15間違い戻り→11:45急登上495m11:57→12:43鳩ヶ峰三等△574.3m13:03→左折→13:16昼食(ラーメン)14:15→14:32菅の坂(463m)14:37→15:22急坂上525m・迷点2・左折15:37→急坂下り→16:25鞍部16:35→16:38小脇谷四等△427.0m→16:45尼公峠(水汲み、幕営、18:40夕食、19:08就寝)

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge012041229_31_MikuniDake_AmagiTouge013

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge014041229_31_MikuniDake_AmagiTouge015

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge016041229_31_MikuniDake_AmagiTouge017

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge018041229_31_MikuniDake_AmagiTouge019


041231_NikoTouge_AmagiTouge 12/31 7時から雪
 尼公峠(4:30起床、5:00朝食)6:55→7:20小ピーク490m(雪)7:30→倒木の急登→8:02急坂上(525m)8:10→8:47横谷三等△573.0m9:00→9:25小ピーク(565m)9:30→山沿いの古道、鹿のラッセル→9:54P541m(UOさんにTel)10:20→10:50左折点(560m)11:00→11:10P581m→11:20小ピーク(620m)11:35→11:57迷点1右折(550m)→12:12古和木分岐12:26→12:32尼来峠12:40→谷への下り、倒木で断念し戻る→13:34樹林の斜面13:40→小尾根を下降、支谷へ→14:10林道終点→カモシカに会う→14:20堰堤(昼食)15:36→15:59片又谷出合→16:43野鹿谷出合→17:06南川砂防ダム17:16→17:30老左近(最初の家で電話を借りタクシーを呼ぶ) 
 老左近18:10⇒18:45JR小浜駅19:00⇒JRハバス⇒19:58近江今津19:58⇒湖西線⇒21:03山科(乗換)21:05⇒新快速⇒22:00三ノ宮

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge020041229_31_MikuniDake_AmagiTouge021

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge022041229_31_MikuniDake_AmagiTouge023

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge024041229_31_MikuniDake_AmagiTouge025

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge026041229_31_MikuniDake_AmagiTouge027

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge028041229_31_MikuniDake_AmagiTouge029

041229_31_MikuniDake_AmagiTouge030041229_31_MikuniDake_AmagiTouge031

Posted on 1月 22, 2005 at 08:08 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.21

050121 若狭はまたも雪

050121_nodaoi_yukimitijyouhou_先週末から、しばらく止んでいた雪が今朝からまた降り出して、現在の納田終の積雪量は47cmです。
今年のこの降り具合では、三月終わりまで雪が残りそうです。
納田終の奥の頭巾山では1mを越える積雪で避難小屋も雪に吹き込まれていることでしょう。
明後日の例会は高野山なので、雪はないかも知れませんが、今年は如何にも冬らしい気候になり、寒さが堪えます。

Posted on 1月 21, 2005 at 10:06 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.20

050120 若丹国境52:三国岳~尼来峠

 昨年末、雪の中の単独縦走で悪戦苦闘した若丹国境の記録を整理する暇もないままに、年初から休日は山歩き、平日は仕事に追われていました。写真の整理も未着手ですが、忘れないうちに少しずつでも掲載していきたいと思います。
 コースは当初予定していたルートから離れたのは、初日の夕方、三国岳から府道1号の永谷峠に下る県境の支尾根が日が暮れて見つけられなかったため、強引に谷筋に下って、谷沿いに府道に出た部分だけですが、実際には2日目からは雪の侵略と戦いながら曲折の多い尾根道をGPSと以前コースにつけた虎テープと迷点に設置した導標を頼りに進めましたから、ルートは外れませんでした。
 3日目には積雪が80cm近くにもなったため、頭巾山への登頂を諦めて、尼来峠から納田終(のだおい)の老左近(おいさこ)に下りました。ただ、尼来峠から尼来谷の源頭に下る峠道は源頭部の周辺が従来から伐採のあとの倒木が折り重なっていて、夏場なら踏み跡を頼りに倒木を縫うように下れるのですが、雪が60cm以上積もった状態では踏み跡を辿ることは不可能で、一旦踏み込んだものの倒木の間に何度もはまってしまい1時間あまりも悪戦苦闘の末、最後の100mがどうしても越せなくて、元のトレースを源頭部の手前の斜面まで登り直し、より下流の小さな支尾根を強引に下って源頭部を避けました。
 尼来峠からそのまま4日目、頭巾山を目指していたらどうなっていたか冷や汗が出ますが、納田終で最初に明かりがついていた岩崎さんというお宅に飛び込んでタクシーが呼べ、小浜から近江今津を経て大晦日の神戸まで帰り着けて本当によかったです。親切な奥さんで、タクシーを待つ間わざわざストーブを点けて下さったばかりか熱いお茶までごちそうになり本当にありがとう御座いました。
 では、ぼつぼつ記録を書き込んでいきます。 
__041223_31_mikunidake_amagitouge_root

山行記録
期 間:平成16年12月29日~31日
行き先:若丹国境尾根・三国岳~尼来峠雪中縦走(江若丹国境尾根第52回)
参加者:きよもり(単独)
行 程:
 12/29 9時過ぎより雪、14時頃より止む
 JR灘6:25⇒JR各停⇒6:28六甲道6:33⇒JR快速⇒7:31京都7:46⇒山陰線⇒9:31山家9:53⇒京都交通バス⇒10:37於身
 於身(210m)10:37→府道1号・雪→11:30老富(255m)11:42→11:57大唐内(オオカラチ)村→12:11林道分岐・右三国岳、左折(300m)12:21→林道→12:30林道終点・渡渉→12:46迷の石組(道は谷沿・昼食370m)13:25→13:45左斜面の葛折り→13:55胡麻峠(524m)14:23→14:40鉄塔1→14:53三国岳・三等△616.6m15:20→16:00P545m手前(520m)16:10→16:20P545m→16:42急尾根下→17:05P474m登り途中(ヘッドランプ)17:25→17:40鉄塔道分岐・左へ→急斜面を谷へ→18:16谷18:25→18:45作業道→19:03府道1号線水場下(水汲み)19:10→19:18永谷峠(275m、幕営、20:23夕食、21:00就寝)
 12/30 深夜大雪、朝方止む、午後より大雪、夕方止む
 府道1号・永谷峠(6:00起床、6:40朝食)8:45→農道途中より横の竹藪を直登し、尾根へ→9:30妻谷尾四等△412.2m9:51→平坦な尾根→10:35急登の斜面上・右折10:56→11:03迷点4右へ→11:15間違い戻り→11:45急登上495m11:57→12:43鳩ヶ峰三等△574.3m13:03→左折→13:16昼食(ラーメン)14:15→14:32菅の坂(463m)14:37→15:22急坂上525m・迷点2・左折15:37→急坂下り→16:25鞍部16:35→16:38小脇谷四等△427.0m→16:45尼公峠(水汲み、幕営、18:40夕食、19:08就寝)
 12/31 7時から雪
 尼公峠(4:30起床、5:00朝食)6:55→7:20小ピーク490m(雪)7:30→倒木の急登→8:02急坂上(525m)8:10→8:47横谷三等△573.0m9:00→9:25小ピーク(565m)9:30→山沿いの古道、鹿のラッセル→9:54P541m(UOさんにTel)10:20→10:50左折点(560m)11:00→11:10P581m→11:20小ピーク(620m)11:35→11:57迷点1右折(550m)→12:12古和木分岐12:26→12:32尼来峠12:40→谷への下り、倒木で断念し戻る→13:34樹林の斜面13:40→小尾根を下降、支谷へ→14:10林道終点→カモシカに会う→14:20堰堤(昼食)15:36→15:59片又谷出合→16:43野鹿谷出合→17:06南川砂防ダム17:16→17:30老左近(最初の家で電話を借りタクシーを呼ぶ) 
 老左近18:10⇒18:45JR小浜駅19:00⇒JRハバス⇒19:58近江今津19:58⇒湖西線⇒21:03山科(乗換)21:05⇒新快速⇒22:00三ノ宮
041229_31_

Posted on 1月 20, 2005 at 11:12 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.19

050119 書籍紹介「四季の高野山町石道」

ShikinoKouyasanTyoishiMiti_HYOUSHI きよもりと同じ大学出身の笹田義美さんという方が刊行された「四季の高野山町石道」という本を先週の紀伊見荘温泉のフロントで発売されていましたので、¥2800とかなり高価ですが、思わず買ってしまいました。
 この方は、大学卒業後、箕島高校を皮切りに和歌山県内の高校の教員、教頭を歴任された方で、現在は伊都地方教育事務局長に就任されておられ、教育畑一筋に半生を過ごされた方です。
 現在、高野山の足元の九度山に住んでおられることもあって、四季折々に町石道を訪れ、優しい詞で町石道を紹介されておられますので、このページを読まれた方々も、もし興味があれば入手されるとよいと思います。ただ、出版社の記載が無く、印刷・製本が「精神障害者福祉工場・ソーシャルファームピネル・麦の郷印刷」となっていますから、おそらく自費出版で発刊されたのではないでしょうか。
 一年を十二季二十四節に分けて、題名通り、四季の町石道を訪れたときの様子を繊細な筆で書きつづっておられますので、実際に歩いた方はもちろん、まだ訪れたこともない方々にとっても清澄な、心洗われるすがすがしさを感じていただけると思います。
 すべてを紹介するスペースはありませんので、前文と表紙の写真、添付されている地図、今回1/23の山歩仲間例会の時期に近い小寒の章の表書を掲載させていただきます。なお、出版日は平成一六年四月一日となっていますので、世界遺産に登録される直前に刊行されたようです。

 以下は前文の引用です。もちろん本文は縦書きですが、掲載の関係でOCRで読み取って改行位置をそのままに横書きになったものを転載させていただきます。
 ご本人には無断転載で申し訳御座いませんが、二年先輩のなせる仕業とご寛容の程お願い申し上げます。

ξ  きよもり 【山歩仲間】
■P E-mail : KGH03517@nifty.com
 ̄  URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
_/_/_/_/_/_/_/_/ 05.01.19 23:43 _/_/_/_/_/_/_/_/
追記:検索するとご本人のお写真とともに本の紹介がありましたのでアドレスを記載させていただきます。
やすらぎの道 次世代へ 笹田義美さん
四季の高野山町石道(ちょういしみち)フォトギャラリー

SyoukannoKoro_OMOTETyouishiMitiZENZU

はじめに
・・・・・とっておきの散歩道・・・・・
私には、とっておきの散歩道があります。
その道筋には、紀の川の清流と紀伊山地の山裾があり、清らかな空気と流れに満たされ、
四季の移り変わりを感じさせてくれる、すばらしい散歩道なのです。
家を出て、まずは紀の川沿いに道をとり、九度山橋を渡ったあと慈尊院へと向かいます。
続いて、「高野山町石道」と呼ばれる歴史の道をたどり、やがて展望台に到着します。そ
こで一息入れた後、紀の川の流れを見下ろしながら歩き、柿畑の中を通過してから、高野
参詣大橋を渡って紀の川堤防を家路へと向かう、二時間あまりのコースです。
慈尊院と言えば、弘法大師のご母堂をお祀りした寺であり、また、有吉佐和子の小説
「紀ノ川」の舞台ともなった由緒ある寺です。女人高野としても知られ、白装束に身を包
んだお遍路さんも多く訪れます。
隣接した階段を登り詰めると、そこには丹生官省符神社が鎮座しています。
この階段途中に町石道の道標ともなる第百八十番目の町石卒塔婆が建っており、高野山
への登り口となっているのです。
「高野山町石道」は、空海が開山のおり、木製の卒塔婆を建てて道標とした道を、鎌倉
時代に、高野山の表参道として拓いた道です。その道には一町(約百九メートル)毎に五
輪の形をした花崗岩づくりの卒塔婆が建てられています。
時の天皇をはじめ、庶民に至るまで、極楽浄土に導かれますように、と祈りを込めて登
った道なのです。時を刻み、苔むした町石からは歴史の重みが感じられます。最近になっ
て、町石道を世界遺産として残そうという機運も高まってきました。
それは歴史の道、祈りの道であると同時に、思索の道でもあります。
弘法大師が母を訪ねて月に九度、この道を通って慈尊院に下りてきたことが九度山町の
名の起こりであると聞いていますが、その間、二十キロの道中で様々な想いを巡らせたと
言われています。
「哲学の道」が西田幾太郎博士の思索の道であったように、弘法大師空海にとっては、
町石道が思索の道だったのです。それを思うと、何故か道端の一木一草にその息吹が感じ
られて崇高なものに思えます。
慈尊院の百八十町石から展望台手前の一六六町石まで、一五町あまりの上り坂を、汗を
かきながら登るとき、身体の中に溜まったガスが汗とともに流れ出し、その後を清涼な空
気が洗い清めてくれるような気がします。
この間は、九度山町の富有柿畑の中を縫うように道が通っているのです。
春は柿の葉の新緑に彩られ、山が萌葱色に染まりますし、秋には柿の実が色づいて季節
を告げてくれます。
道端に目をやると、春にはアザミやタンポポ、夏にはツユクサ、秋には萩やミゾソバな
どの花が咲き、冬には柿の枝が空に張り付くような切り絵模様を描きます。
途中には竹林やくぬぎ林などもあり、山肌の斜面をクズ(葛)の葉がびっしり覆い尽く
すように広がっている風景も見られます。
また、蝶やトンボの昆虫たちが、里山の雰囲気を醸し出してくれます。
汗だくになって展望台までたどり着くと、そこからは北の方角に和泉山脈が連なり、葛
城山や金剛山が、南には紀伊山地の重なりがあって、高野山や国城山が望めます。
正面には橋本橋付近が霞んで見え、紀の川がゆったり蛇行して流れているのが一望でき
ます。それに私の家も豆粒のように見えています。
展望台で汗を拭いながら下着を取り替え、下から吹き上げてくる心地よい風に身を包み
ながら一休みすると、徐々に満足感が広がってきます。
休憩後は紀の川の流れを眼下に見下ろしながら、満たされた気持ちで舗装された下り坂
を進みます。そこは農道となっており、ほとんど人と出会いません。
しばらく行ってカーブを曲がると、今まで山肌で隠れていた景色がぱっと開け、万葉集
で名高い妹山青山方面の眺めが目に飛び込んできます。
往きは町石道、帰りは紀の川の眺めとともに歩みを進めることになるわけです。
町石道で汗を出し、展望台で休憩した後、紀の川のすばらしい眺めの中を爽快な気分で
歩く楽しみは、何物にも代え難いものです。
機会あるごとに歩きますが、時にはカメラをもって四季の移り変わりを撮したり、IC
レコーダーを片手に、思いつくことを録音したり等々、いろんな楽しみ方を試みています。
手ぶらで歩くこともあれば、リュックに飲み物や食べ物をつめていくときもあります。
朝早く歩くこともあれば、夕日を見ながら歩くときもあります。そのときの気分に任せて
歩きますが、家に帰り着き、シャワーを浴びると、心のしこりが解れて、すっきりした気
分になれる点が共通しています。
人それぞれに「とっておきの散歩道」を持つことをお薦めします。
この散歩道を歩むにつけて、町石道を高野山大門まで歩いてみたい、すべての町石を写
真に収めたい、という気持ちが高まってきました。
二十四節気を通して歩いた四季の町石道を、写真を添えて紹介させていただきます。

Posted on 1月 19, 2005 at 11:49 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.18

050118 拝復49:天災は残酷です

O子様
 ご主人のご快復が早くて何よりでした。
 1/17の夜中に何気なくTVをつけたら、震災当時の災害のすさまじさの映像が流されていたのは既述の通りですが、震災後一月、半年、一年、五年、現在と実際に被災された皆さんの、たくましい立ち直りへの意欲と、その後の変遷を忠実にカメラが追っていました。
 つぶれた自宅の瓦礫の中から、焼け残った商店の看板を救い出し、プラケースの上にかろうじて無事に残ったビールや酒類を数日後には並べて原価より遙かに安い捨て値でご近所の皆さんの食生活に少しでも役に立つとの思いで細々と商売を始められた若い酒屋の店主。その意欲に触発されて、河岸へ仕出しに行き同じく仮設の台に魚や刺身を並べて原価で販売され始めた魚屋さん。
 それぞれが、地域社会に根を下ろした地元の人たちの心意気が感じられて、改めて感激致しました。
 ところが、半年、一年経つ内に、破壊のすさまじさから元の商店街のアーケード復元は難しくなり、一方では駅周辺の更地になった区画にどんどん大型スーパーや、生協が進出してきては、なじみ客さえ新興店に奪われ、今までの商売の継続が出来なくなり、折角新しく設定された区画に再建したお店を奥さんやおじいさんに任せて、外へ仕事を求めざるを得なくなった若い酒屋の店主や、後継者もいないまま、お店をたたまざるを得なくなった魚屋のご主人など五年後、十年後の現在まで何の感情も交えず淡々とコメントされて流される映像を見て、やりきれなくなりました。
 サラリーマンは元の会社があれば休業補償も含め何とか生活を取り戻せるでしょうが、長田や灘の商店街の日々の売上を元に生活されていた方々も多いことでしょう。多かれ少なかれこういった悲哀を舐め、誰に恨みをいうこともなく人生設計が狂わされた人々が、数万人数十万人おられたと考えると胸がいっぱいになり、TVを消しました。
 森井が神戸に赴任した八年前にはすぐ近くの王子公園にはまだ仮設住宅があり、数十名がすんでおられましたが、それも震災後四年目くらいで取り壊され元の運動場に戻りましたが、今でも数名の人がその近くに仮囲いをしていわゆるルンペン生活をされています。それはあの震災さえなければ家も家族もあった人かも知れません。意欲を無くして生活が変わってしまった人、意欲があっても周りの急激な変化で生活を変えざるを得なかった人、共通するのは震災さえなければこうはならなかったという恨みでしょうか。それでも誰に恨み言をいうでもなく、運命と受け止めて生きていくしかないのですから無情です。
 震災にあった人々が、生き続ける限り決して消し去れない原体験、やはり震災の日に東京に出張や単身で赴任していた人が会社にも何名かおられますが、今でも何となく奥さんやお子さんに対して後ろめたい想いを持っておられる心情が分かるような気がします。
 天災は残酷です。

ξ
■P きよもり 【山歩仲間】
 ̄ URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
E-mail : KGH03517@nifty.com
_/_/_/_/_/ 05.01.18 19:17 _/_/_/_/_/

050118_osan_ookisugijpg "O子"2005/01/18 14:54
宛先: "きよもり"
cc:
件名: 大きすぎ!
きよもり様
 十年と言葉にすれば何と短いことでしょう。この間の人々の心の内を思うと只想像の域しか出ない自分の立場を考え、在神戸の多くの友への思いも言葉には出来ません。多分故郷を離れている昔の仲間は皆、この日を同じような想いで過した事と思います。あの日の朝、あの時間にまるで何かの力に動かされたように、寝床の中でテレビをつけ画面に映し出された故郷の災害を目の当たりにしたあの衝撃は今でも脳裏に刻み込まれています。何故あの時間にスイッチを入れたか等と考えるゆとりもなく、時を経てからこの不思議な自分の行動にどう考えたらよいのか、暫らくは時間の空白に置き去りにされたような気分になったのを憶えています。
 ココログの虹の写真を拝見してふと、あの時の気分に逆戻り致しました。神戸が第二次大戦で初めて空襲を受けたのも三月十七日、同じ十七日だったと、今NHKの朝ドラの中で出ていました。震災後間もなく訪ねた友人が会うのは神戸でなく大阪でと云われました。地下街で出会った友人はショッピング街の何を見ても買う気持にはなれないと話たのが心に沁みました。その彼女はお母さんとその次の日から周りの人たちの援助に立ち上がられたと他から聞かされました。胸がつまされました。優しさは強さだと思いました。
 久し振りに先日ログのピーターママがログ周辺の最近の写真を送って呉れました。その後又、雪が降っていますから今頃は~と思います。
 ピーターママも昨秋、父上を亡くされました。寂しさの中での年越しでしたが、最近ご長男の作新高校合格の朗報が入り、一家に明るさが戻りました。まだ今年はログへは行っていませんが主人もすっかり快復して立春の頃には出かけられると思います。(雪次第ですが)きよもりさんのココログの御蔭で神戸の事、山の事、古来の話などで老いて知恵が増えるような毎日です。年寄りの戯言どうぞお許しください。
 O子

Posted on 1月 18, 2005 at 07:36 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.17

050117-2 供養飲み会?

050117_182601.jpg 月一回年寄り連中の飲み会を本町で開催していますが、数年前まで情報システム関係の最前線を背負っていたメーカーの集まりで、呉越同舟ながらよく働きよく飲む連中で気が置けません。
 右端は元祖オジャマ虫さんです。
 平均年齢55〜60歳ですが、まだまだお元気で頼もしい仲間です。震災の話、偽札の話、刺青の話、等々話題は尽きません。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 17, 2005 at 08:11 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050117 希望の虹

050117_083601.jpg 今日1月17日は、夜中から震災当時の生々しい映像をフジTVで流していました。
 改めて当時の凄まじい破壊の様を見て、今の神戸の復興が夢のようです。
 震災10周年の今朝は小雨模様ですが、薄日が差し始めて三宮の街並みの空に虹が掛っています。
 夫々の10年、悲喜こもごもでしたが、節目の日に新しい門出を祝ってくれているようです。
 合掌!
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 17, 2005 at 09:27 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.16

050116-4 水道筋の肉屋さん

050116_185901.jpg 050116_190101.jpg050116_190201.jpg
 山から王子公園まで帰ってきて、灘の水道筋に昨日TVで紹介されたという山本というお肉屋さんがやっている「離の宴」という肉料理屋さんでNWHワインと牛タン、肉の刺身、賽子ステーキ、しゃぶしゃぶなどのコース料理を堪能しました。めいっぱい飲んで食って一人6500円でしたから、さすがは水道筋ですね。
 お勧めですが、TVのせいで、結構込んでいましたから、これからもっと繁盛するかも知れません。
 霜降り肉の刺身や、しゃぶしゃぶは、家ではなかなか食う機会がありませんから、たまにパアーと食いストレスを解消するには最適ですね。
 場所は灘温泉の100m手前、古道具屋さんの先を山側に少し入ったところですが、年中無休で22:30までやっていますので、こんな店がとんでもないところにあるのが如何にも神戸らしいところでしょう。しゃぶしゃぶのコースが3800円、賽子ステーキのコースが2800円、ワインがボトルで、3000円からですが、コースは2人以上です。
 今度はすき焼きを食いたいですね。→NWHさん

ξ  きよもり 【山歩仲間】
■P E-mail : KGH03517@nifty.com
 ̄  URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
_/_/_/_/_/_/_/_/ 05.01.16 21:56 _/_/_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 16, 2005 at 09:41 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050116-3 仕上げは紀伊見荘

050116_153401.jpg 天見から一駅戻って紀見峠から紀伊見温泉で山行の仕上をしました。お疲れ様でした。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 16, 2005 at 04:30 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050116-2 行者杉

050116_115601.jpg 大沢寺(だいたくじ)から行者杉へ峠越えの古道が残っていて、緩い尾根通しの道が残っています。お寺から1時間あまりで行者杉の峠に着きます。
 雪を覚悟していましたが、意外に少なくて楽に一行17名とリキ(TRDさんの愛犬)はげんきいっぱいであがりつきました。
 11時30分着です。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 16, 2005 at 11:59 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050116 金剛山は雪の中

050116_095301.jpg 大和高田の近鉄から和歌山線のJRの高田駅への乗換えに間に合わずバスで五条に出ました。昨日は雪だったようです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 16, 2005 at 10:00 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.15

050115-2 またも雪

050115_124101.jpg050115_160801.jpg GPPは快調にトレースしてくれますが、三国池の手前から本格的な雪になりました。三国池東北の三角点は、フェンスに囲まれて近寄れず、3時を過ぎたので石楠花山に行くのを諦めてケーブルで降りることにします。
 記念碑台のグルーム氏像の横に三角点がありましたから取りあえず満足しました。
 すでに雪は5cmくらい積もっています。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 15, 2005 at 04:21 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050115 神戸ツーデーマーチ

050115_110001.jpg050115_110201.jpg 今日はのんびりと摩耶山から石楠花山辺りを新しいGPSのテストを兼ねて歩くつもりでしたが、昨日は会社を出たのが23時だったので食事をして寝たら2時を過ぎていました。
 朝普段と同じ7時に起きたものの山の用意やメールチェックをしていて出遅れました。
お陰で神戸ツーデーマーチの行列に会いました。17日は震災10周年ですからこのイベントも盛り上がっています。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 15, 2005 at 11:29 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.14

050114 拝復48:寒中お見舞い申し上げます

O子様
 返事が遅くなり申し訳ありません。
 メールを拝見して、きよもりも既に20年も前に50歳で亡くなったすぐ上の兄のことを思い出しました。
戦中に育ち盛りを過ごし、食糧危機の頃にろくな栄養も取れないままに、胸を患い高校中退、完治して30歳を越してから発憤して、再度夜間高校に入学卒業しましたが、生来の気だての優しさが災いしてか商売も下手で、安定した収入もないままに願望していた結婚も運が無くて生涯独身で過ごし、暑い夏に眠るように息を引き取りました。
薄倖だった兄の分まで一生懸命、楽しく生きるのが供養かと思いながら日々を過ごしているような気がします。細かいことには無頓着でいつも一緒に遊んでくれた優しい兄でした。合掌。

 夏休みの予定は未定ですが、印旛沼にいる2年上の先輩のTMRさんや、NWHさんにも声をかけていますので、日程を詰めるのは更に先になるかと思います。
 一人なら厚かましくログに泊めていただくお願いをしてもと考えておりましたが、3人になるようなら山の帰りに立ち寄らせていただいて、里山に溶け込まれたログを久し振りに拝見するだけにさせていただくことになるかと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
 夏休みの期間は、8/12~16の5日間しかありませんので、おそらくお伺いするのは8/15の午後くらいになると思います。お盆ですから、その頃は谷塚におられるようならお伺いしないことにいたします。

 イメージとしては、裏からはいるのが一般ルートのようなので、群馬県側からのルートを考えています。
8/12 神戸~東京~老神温泉泊 
8/13 老神温泉~皇海山~白根温泉
8/14 白根温泉~白根山~日光湯元温泉泊
8/15 湯元温泉~日光~粟野~鹿沼~東京
8/16 東京~神戸

 それにしても、皇海山をスカイサンと読むのは難しいですが、百名山の一つという理由だけではなく一度聞くと忘れられない名前です。

ξ
■P きよもり 【山歩仲間】
 ̄ URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
E-mail : KGH03517@nifty.com
_/_/_/_/_/ 05.01.14 15:49 _/_/_/_/_/

050114_NanaKusa "O子" 2005/01/14 08:42
宛先: "きよもり
件名: 寒中お見舞い申し上げます。

きよもり様
 年越しのメール以来早、七草も過ぎ今は最も寒い時期です。
 後はひたすら立春を待つのみです。小浜街道の雪景色を拝見し、自分の生まれた時期は何と寒い時だったのかと実感した次第です。
 齢73歳となり、でもこの頃きよもりさんのお母上様の記事を拝見致すようになり、とても励みとなっております。〈かくありたいものと~〉
 この誕生日に私の生涯の中で特記すべき出会いに遭遇致しました。3歳になる以前に死別致しました生母の姉妹が私をずっと探してくれていて再会を果たしました。(中略)
 事実は小説より奇なり~が我が身にしかもこの年で起こるとは思いませんでした。生きていた御蔭で知り得た人の心の温かさにすっぽりと包まれて過した誕生日でした。
 まさに生きているだけで丸儲けの人生となり感謝頻りの日々を過しています。
 お忙しいそちら様へこんなメールを送るご迷惑をお許しください。お母上様のお姿とオーバーラップして書かずにいられぬ思いでした。今年のお盆休みに皇海山経由のご計画、嬉しく拝見致しました。可能な限りの御出でを心待ちに致しております。
 寒中ご自愛くださいませ。
     O子

Posted on 1月 14, 2005 at 05:50 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.13

050113 GARMIN GPSmap60CSゲット

050113_220701.jpg 昨年末に新しいGPSを無理して購入しましたが、日本地図の10m等高線入りのマップソースがまだ発売されていませんでした。
本日やっとCD-ROMが到着。晩御飯も食べずにセットアッブ中です。
なんと無くワクワクo(^o^)oしますね。
15日に摩耶でテストして、16日に行者杉で本番デビューしたいと思います。
それにしても正月前の14万円の出費は痛かった。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 13, 2005 at 10:24 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.12

050112-2 熊川は大雪45cm

050112_1200_Kumagawa定点カメラで小浜街道・熊川辺りを見るとびっくり。
現在も1時間に1~2cm降っています。
今週末の大阪・和歌山・奈良三県境の「行者杉」も相当の雪を覚悟しましょう。
来週の高野山・町石道はどうでしょうね。

Posted on 1月 12, 2005 at 01:13 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050112 山歩仲間第68回例会・高野山町石道パート2のご案内

050123_TyouishiMiti_001B050123_TyouishiMiti_002 
                平成17年1月12日
山歩仲間 諸兄諸姉
                 山歩仲間事務局・きよもり

山歩仲間第68回例会 高野山/町石道パート2・60町石~慈尊院 ご案内
 年末に降った雪が北近畿では根雪になり、すっかり冬らしい寒さが続いておりますが、皆様新しい年を迎えご健勝のことと存じます。昨年12月の例会は愛宕裏の牛松山から尾根通しで樒原まで歩きました。13名のご参加をいただき有り難うございました。
 今年最初の山歩仲間例会は昨年9月の高野山・町石道パート1に続き、残る60町石の矢立峠から180町石の慈尊院までの古道を歩きたいと思います。
 参加のご連絡は、1/21(金)までにメールかFAXでお願いします。
                      敬具
          記 
開催日:平成17年1月23日(日)
集 合:南海高野線・難波駅3番線・7:36高野山行き先頭車両に乗車
 参考:阪急三宮6:45⇒特急⇒7:13梅田7:20⇒地下鉄⇒7:28なんば
コース:難波7:36⇒高野線急行⇒8:58紀伊細川駅(9:00頃)→50分→矢立(60町石)→60分→笠木峠(86町石)→60分→二つ鳥居(昼食・120町石)→60分→一里石(144町石)→60分→展望台(166町石)→30分→慈尊院(180町石)→30分→九度山駅(解散17:00頃)17:40⇒高野線急行⇒18:47難波
 歩行:約5時間50分 18km
地 図:25000分の一「高野山」「橋本」
装 備:雨具、弁当、水筒、軽アイゼン(無い方は事務局が予備を持参します)、ストック
費 用:なし(別途各自払:難波~紀伊細川/\850、九度山~難波/\770)
追 記:
 ・2月の例会は、2/27(日)にお待ちかねの水尾・柚の里で鶏すきを計画します。
 ・2/20(日)は「三県境の山」深山北尾根の舩谷山が予定されています。
 ・3月の例会は3/27(日)に北摂・百丈岩から鎌倉峡を予定しています。
   3/19~21は三連休のため避けています。

ξ  きよもり 【山歩仲間】
■P E-mail : KGH03517@nifty.com
 ̄  URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
_/_/_/_/_/_/_/_/ 05.01.12 4:43 _/_/_/_/_/_/_/_/

高野山/町石道(60町石~180町石)断面図
050121_TyouishiMiti_P2_DANMEN

高野山/町石道(60町石~180町石)ルート図
050121_TyouishiMiti_P2_MAP

Posted on 1月 12, 2005 at 06:02 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.11

050111 雪は降る降る

050111_Kumagawa_Sekisetu 昨日までの鈴鹿山脈も鈴鹿峠から南の標高800m程度の低山にもかかわらず、那須ヶ原山周辺で40~60cmの積雪がありましたから、これはもう根雪になるものと思われます。
 写真は小浜街道の熊川宿から少し近江今津側にのぼった天増川口にある定点カメラの図ですが、ここの積雪は44cm、昨日も3cm増えているそうですから、2月一杯はこのくらいの雪があると思います。
 ということは、江若丹の国境尾根は場所によって1mを超えているでしょう。
 2月11~13日の比良山雪中宴会も相当の雪を覚悟しないといけません。当然輪カンが必要でしょう。


Posted on 1月 11, 2005 at 01:07 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.10

050110-4 帰ります

050110_150601.jpg  何とか岳山まで辿り着きました。これからタクシーに乗って宮乃温泉です。今日は1日半分歩いたのでほぼ雪による2日間の遅れを取り戻しました。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 10, 2005 at 04:29 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050110-3→(2/2)050110山の先輩から→山

050110_120101.jpg ナニシテマンネン!
薮こぎが終り267.6mの竜王山まで完了。
385.2m岳山まで行けそうです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

>大阪は快晴です。風がとっても冷たくて鼻水が氷漬くほどです。今日はIHクッキングヒーター料理教室にきています。
>おじゃま虫

Posted on 1月 10, 2005 at 12:03 午後 | | コメント (7) | トラックバック (0)

050110-2 東海自然歩道

050110_074001.jpg 050110_085701.jpg  柘植から信楽へ続く県境ぞいに自然歩道が続きます。三角点の石標を確認しながら歩いています。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 10, 2005 at 09:03 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

050110山の先輩から→山行のご報告

050109_140001.jpg お疲れ様でした。
 こちらは年末に降った雪が残っていて、きよもりが29〜31日に行った若丹の尾根も2〜3日重廣さんが行かれた御在所も、何処も大変な雪で計画を途中変更しました。
 8〜10日は、その重廣さんご夫妻と3人で鈴鹿峠から南へ縦走していますが、やはり雪のために夏時間の倍もかかり予定の三分の二をクリアした所で終りそうです。
 アイゼンは二日間付けっぱなしですが、今日は高度が低いので不要でしょう。
 帰りましたらまたココログに書き込みますので見てください。
 こちらは重廣さんは別格ですが、山歩仲間に恵まれて、山に行く機会は益々増えつつあります。夏は是非ご一緒しましょう。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/


>"TMR" からの転送文書
山行のご報告:
 きょうは毎年のことですが、日光の鳴虫山を歩いてきました。靴の慣らし運転を目的にしたのですが、昨年暮れの雪が凍り付いて残っている尾根筋を歩きました。アイゼンが役に立ちましたが、古い門田のアイゼンでやはり新しいのに買い換える必要性を痛感しました。
 今年は雪の量が少なく男体山や女峰山も例年より雪は少なく感じました。これから積雪量は増すことと思います。2月にもう一度行くつもりです。昨年は2ピッチで登れたルートですが、途中で何度も止まりました。暮れからのトレーニング不足の表れです。頂上付近はハイプの階段作りが進められていました。登山道の整備は有り難いのですが、階段や土砂止めの柵の設置は止めてもらいたいものです。前年の印象と違いがあり、とまどいました。それだけ多くの登山者が増えたと言うことでしょう。今日も中高年ばかりでした。凍った雪(氷)で下山してから転びました。
 奥日光に行きたいのですが一人では不安なので眺めるだけにしています。冬はわかんも必需品だと思います。装備の充実が先決ですね。2月は誰かを誘って出かけたいと思います。また、ご報告します。
*TMR

Posted on 1月 10, 2005 at 04:03 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.09

050109-4 禁酒の夜

050109_181201.jpg
 柘植の近くにある余野公園でテントを張り、コンビニを探しましたが、周りにはコンビニどころか酒の自販機さえ在りません。きよもりの気付薬だけでガマンします。
 明日は何処まで行けるでしょう?
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 9, 2005 at 06:28 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050109-3烏山→050109-2 油日岳

050108_10_SuzukaTouge_DakeYama_001  残念、今日は余野公園で野宿です。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

>きょうは第一回目の引っ越しでアルコールの配達は休ませて頂いております。悪しからず
おじゃま虫

Posted on 1月 9, 2005 at 02:23 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050109-2 油日岳

050109_094801.jpg  9時50分到着。鷲峰山の向こうに生駒も見えます。でも寒い。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 9, 2005 at 10:35 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050109 6時出発

050108_183101.jpg050108_170901.jpg 昨夜は那須ヶ原山の避難小屋に泊。今朝は風が強いものの満天の星です。
 早すぎるので出発まで待機中です。今日は柘植でアルコールを仕入れないと昨夜カラになりました。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 9, 2005 at 05:53 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.08

050108-4 坂下峠着

050108_132501.jpg  峠に下りきる手前から見事に晴れ、伊勢湾や四日市がみえます。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 8, 2005 at 02:15 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

050108-3 坂下→那須ヶ原山

050108_110501.jpg  雪は10CMまずまずの天気です。高畑山まであと少しです。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

>おはようございます。寒さが身に凍みる厳しい冬型ですが、星を見るには良い時期です。夜天気が良ければマックホルツ彗星を見ることができます。すばるのすぐ右に見えます。午後8時から午前二時まで見る事が出来ると思います。無理をしないで下さい。
おじゃま虫

Posted on 1月 8, 2005 at 11:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050108-2 那須ヶ原山

050108_090001.jpg  関西線の車中から那須ヶ原山が見えました。雪を被っていますが、道はどうでしょうか?
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 8, 2005 at 09:07 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050108 三連休は鈴鹿峠から甲賀

050108_082501.jpg  三日間出勤してまた三連休、今回は重廣さんに同行させていただいて、鈴鹿峠から甲賀へ県境の東海自然歩道と接する尾根歩きです。
 最高点の那須ヶ原山で800.0mなので摩耶山くらいですが、年末以来の雪がどの程度かと、柘植から西の尾根道の茂り次第です。昨夜も雪が降ったようで、周りの山は真っ白です。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 8, 2005 at 08:29 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.07

050107 電脳煩悩77:きよもりの予言は当たる

 今は日経パソコンしか定期購読していませんが、今日の日経ITpro「記者の目」で日経コンピュータのバックナンバーの話を興味深く読ませていただきました。
 日経コンピュータは創刊当時からの定期購読で、当時会社では大型のホストコンピュータの導入が終わったばかりでしたが、興味があったのはあくまでも自分で触れるパーソナルコンピュータ(パソコン)でした。
 自宅ではPC6001という低価格パソコンを新婚間もないかみさんに拝み倒して購入し、自分でマシーン語のリストを入力してゲームなどに嵌っていました。
 当時の社会背景は記事の通り、メインフレーム(ホストマシーン)とオフコンが中心で、ダム端といわれた頭を持たない入力装置は形こそ今のパソコンと同じですが、あくまでもキーボードと表示装置だけのもので、それに毛が生えた程度の機能やメモリーしかないパソコンに注目する人はまだ少なかったです。
 そのような社会背景の中にあって、当時の日経コンピュータの読者投稿ページに「将来的にはオフコンはなくなり、ホストの大型機とパーソナルコンピュータだけになるだろう」と当時としては大胆な意見を投稿したのを今でも覚えています。それは、物心が付く頃から手塚治虫のSF漫画に傾注して、来たるべき新世界のあるべき姿が具体的にイメージできていたからだと思います。
 いまやそのパソコンすら携帯に席を譲ろうとしていますね。情報機器の将来系のイメージは既に50年も前から出来ています。あとはその実現に向けて、ようやく通信速度の壁が破られた現在、早く電池の壁が無くなればよいですね。

 コンピュータに関して割に広い範囲での情報が集まる体勢が出来ているため、予言がよく当たります。
 日経コンピュータでのオフコン消滅の予言もそうですが、PC9801が無くなることもNECの社員に対して直接言って、喧嘩になりそうになったこともあります。
 昨年のブログのブレイクについての予言もまだ記憶に新しいところですね。
 でもこのようなことが何の根拠もなく言えるものではありません。やはり実際に渦の中に入ってみてユーザーの立場で自分でリスクを背負うからこそ言えることではないでしょうか。そういう点では、失礼ながら外部から一定の距離を置いて客観的に見る癖が付いている新聞や雑誌の記者さん達より切り込みは鋭いと自負しています。
 そういえば、現在のWindowsの完成型に近いものが出た1995年12月発売日のカウントダウンに秋葉原まで行って行列に並んだのを思い出します。この時はたまたまTV朝日の取材に捕まって、全国に中年のおじさんの顔を流してしまったのも好い思い出ですね。Windows95こそ本命だとの信念を持って夜中まで行列に並んだ訳ですが、この判断はやはり正しかったですね。

以下は引用ですが、続きを読むをクリックして下さい。長文です。



ITpro_LOGO
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20050106/154473/index.shtml

 記者の眼 [2005/01/07] 
日経コンピュータの報道を検証する
 ある理由があって,日経コンピュータの創刊号(1981年10月5日号)から昨年末の第616号(2004年12月27日号)までに掲載された特集記事616本を調べてみた。弊社の資料室には地下室のような場所があり,弊社が過去発行したすべての雑誌が保存されている。年末と年始に時間をつくって地下室にこもり,バックナンバーをひもといてみた。地下室には普段人がいないし,電話も鳴らず,極めて快適であった。
 過去の特集群をなぜ読み返したか。それは「オープンシステム」とは何かを調べようと思ったからである。昨年に「『オープンシステム』って何?」という記事を書いた。執筆時にインターネットを使ってあれこれ調べたが筆者の検索能力に問題があるらしく,言葉の定義がよく分からなかった。そこで日経コンピュータの過去から現在までの特集を追えば,いつごろオープンシステムという言葉がITの世界に登場したか,どのような定義であったか,が分かると考えた。
 あまりに静かなので空調の音がやけに大きく聞こえる資料室でバックナンバーをめくり,過去の特集記事の題名を眺めていくと色々なことが分かって面白かった。筆者は通算すると15年ほど日経コンピュータ編集部に在籍していたため,この雑誌に関しては思い出がたくさんある。

オープンシステムとはワークステーション
 まずオープンシステムに関して調べたことを報告する。いささか意外であったが,過去616回に及ぶ日経コンピュータの特集記事で「オープンシステム」を題名に付けたものは2本しかなかった。1989年6月19日号の「オープン・システム時代を創出する高性能ワークステーション」と,1995年4月17日号の「1768社にみる オープン・システム導入実態」である。この2本とも,オープンシステムそのものの記事ではない。前者はワークステーションの動向記事,後者はユーザー企業における機器やソフトの導入状況調査だった。
 過去の日経コンピュータを見ると,1985年から「メインフレームとは異なる新しいコンピュータ」として,ワークステーションを熱心に紹介し続けている。この段階で「ワークステーションすなわちオープンシステム」という認識があった。ワークステーションはいまや死語かもしれない。現在でいえば,UNIXやWindows を搭載したコンピュータに当たる。
 日経コンピュータの特集でワークステーションを取り上げた第一弾は1985年10月14日号の創刊4周年記念特集「高性能ワークステーションが作る知的作業環境」であった。今見返すと,なんともはや凄い題名である。ここで脱線するが,19年前に掲載されたこの特集は,当時のエース級記者2名に新人1名を加えたチームによって執筆されている。その新人とは筆者であった。筆者は1985年4月入社である。サン・マイクロシステムズが日本に上陸を始めた時期であった。
 ちなみに記者二人はいずれも情報産業で仕事をした上で,弊社に転職し記者になっていた。ビジネスの知識も技術の知識もある。一方,筆者は理科系の大学は出たし,プログラミングの経験は多少あったものの,実務経験は皆無である。ここまで書いて思い出したが学生時代に使っていたのは今は無きDEC社のミニコンピュータPDP-11であった。
 新入社員の筆者は先輩二人についてワークステーション・メーカー各社を訪問したが,取材の時に飛び交うテクニカル・タームがさっぱり分からなかった。にもかかわらず,筆者は各社のワークステーションのスペック表を作成しなければならず閉口した。先輩の一人は厳しく「谷島君ねえ。給料もらっているんだからプロでしょう。仕事以外の時間に自分で勉強して追いつかないと」と言った。
 ただし,もう一人の先輩は年が近かったこともあり取材の後,喫茶店に入ってあれこれと教えてくれた。当時のやりとりを再現してみよう。

谷島 (取材ノートを見ながら)「○○って何ですか」
先輩 「それはミニコン・メーカー大手の名前」
谷島 「イーサネットというのは」
先輩 「LANの規格の一つ。LANというのはね・・・」

20年前,人気がなかったパソコン
 お粗末な限りである。ところで「高性能ワークステーションが作る知的作業環境」という大特集が掲載された日経コンピュータ1985年10月14日号をめくっていると「第2のパソコン用“OS”MS-DOS用『統合操作環境』の機能と現状を探る」という記事が出てきた。括弧が多くなんとも分かりにくい題名だが,統合操作環境とは要するにマルチウインドウのことで,つまりはWindowsなのである。
 この記事を読んでみると,MS-DOS上で動く統合操作環境で有力視されるものは三つあると書いてあった。マイクロソフトのMS-Windows,米インディアン・リッジ社のWindow Master,そしてデジタルリサーチ社のGEMである。記事の最後の段落は「勝ち残るのはどれか」という題で,結論としてMS-Windowsが有利となっている。ただしその理由は「松下電送が採用している」というもの。
 MS-Windowsに関して面白い記述があった。「他の国産パソコン・メーカーは態度を決定していない。MS-Windows発表当時は採用するといっていたパソコン最大手の日本電気もいまは白紙に戻している」。年若いIT Pro読者のために補足すると,日本電気とはNECのことである。
 パソコンの記事を持ち出したのは,コンピュータの世界がほぼ20年後どうなったかについて書きたかったからである。「高性能ワークステーションが作る知的作業環境」で持ち上げたワークステーション群の中で現存しているのは,サンの製品くらいである。実際に世の中に大量導入されたコンピュータはWindows搭載パソコンであった。知的作業環境が真に実現されたかどうかは議論が分かれようが,少なくともワークステーション特集の中で期待していた環境はパソコンによって実現されている。
 筆者が入社した20年前の日経コンピュータ編集部の雰囲気を思い起こしてみる。なんといってもメインフレームが一番重要なコンピュータであり,二番目がオフコンという扱いだった。特集記事で市場シェア調査を毎年実施していたが,調査対象はメインフレームとオフコンだけ。パソコンはオフコン調査の時についでのように調べていた程度であった。
 メインフレームとオフコンを超えるマシンとして編集部が期待していたのはUNIXワークステーションであり,パソコンはあまり人気が無かった。当時の編集部は実務経験者の数が圧倒的に多く,そうした玄人記者からするとパソコンは取材対象としていささか物足りなかったのである。
 ただし20年近く前の日経コンピュータ編集部にあって,パソコンの話を執拗に書いていた記者がいた。田口潤という。先の統合操作環境の記事は田口記者が書いており,彼はその後も「32ビット機時代に対応できるか,正念場迎えた日電PC-9800」(1986年7月7日号),「成るか,PC-9800互換機市場の確立」(1987年6月8日号),「浮上するIBM PC/AT互換機日本語版の開発計画」(1987年8月17日号)といった特集を書いている。若い読者のために再び補足すると当時,我が国のパソコン市場はNEC,ではなかった日本電気が圧倒的なシェアを維持しており,それがそのまま続くのかどうかは重大な問題だったのである。
 ここまで書いてまた思い出したが,田口記者が編集会議で「PC-9800の牙城を揺るがす可能性の一つとして,米国で売られているIBM PC互換機の日本語版が出てくる」と,その動きが表面化する前に提案したとき,当時の某副編集長は「そんなバカな話があるか」と切って捨て,IBM PC互換機の記事をいったんお蔵入りにした。だが一喝した副編集長は日本経済新聞に戻ってから「NECがいつIBM互換機を出すか」というテーマを追うようになった。
 田口記者はその後,複数の雑誌やニューズレターの編集長を務め,昨年11月から日経コンピュータの第7代目編集長になった。
 
 OSIはどこへ
 昔話を書いているといくらでも書けるのでこの辺で打ち切り,オープンシステムに話を戻す。ワークステーション関連記事を別にすると,日経コンピュータでオープンシステムに関連する特集が登場するのは,1986年3月31日号の「実用化迫るOSI,各社の基本アーキテクチャに」からである。
 OSIと書くだけで,隔世の感がある。失礼ながらIT Proの若い読者の方々はOSIのことをご存じだろうか。OSIとは「オープンシステムインターコネクション」の略で確か「開放型システム間相互接続」と訳されていた。
 先に書いたように,当時はメインフレームとオフコン中心の時代であったので,ベンダーの異なるマシンの接続は切実なテーマの一つであった。たとえば1986年5月26日号には「異機種のコンピュータを接続,『マルチベンダー』の活用法」という特集が掲載されている。
 OSIは異機種間接続の切り札として注目されていた。日経コンピュータはその後もしつこく特集を組んでいる。1988年2月29日号には「OSI元年,異機種を接続する新時代の幕開く」という特集が載った。しかし元年からわずか2年後,1990年12月3日号には「マルチベンダー接続の切り札,”OSIの光と影”」という特集が掲載された。1990年の前後から,UNIXマシンのビジネス利用やTCP/IPの普及が本格的に進み,OSIの出番はなくなっていった。
 ここでまた脱線するが重要なことを書く。「○○新時代の幕開け」とぶちかましてから,しばらくして「○○の光と影」とか「○○の落とし穴」という特集を掲載するのは日経コンピュータのお家芸である。それぞれの時期の記者はベストを尽くしているのだが,結果としてこういうパターンに陥ることはしばしばあった。

「脱IBM」としてのUNIX
 さてマルチベンダー接続と並んで,昔から日経コンピュータの重要テーマであったのは,「脱IBM」であった。現在では信じられないことだが,1970代から80年代にかけてIBMは世界のコンピュータ市場の7割近くを握っていた。ハードや基本ソフトを含めた数字であるから,現在のマイクロソフト以上の独占ぶりであった。IBMの企業研究特集も数回組まれている。富士通や日立製作所といったメインフレーマとIBMとの闘いは,初期の日経コンピュータがもっとも大きく取り上げ,かつ深く追求したテーマである。
 「脱IBM」とは,IBMメインフレームによる集中処理に対抗することでもあった。このため分散処理が取りざたされた。日経コンピュータの特集を見てみると,1987年1月5日号「90年代のOSアーキテクチャTRONの挑戦」,1987年6月22日号「分散処理の旗手,DECがIBM王国を揺るがす」といった特集が「脱IBM」という大きな文脈にそって掲載されている。
 脱IBMの中で最大の有望株がUNIXであった。1990年10月8日号に「加速する“UNIXシフト”」という特集が掲載されているが,1990年の前後,まさしく日経コンピュータの特集はUNIXにシフトした。このあたりから「オープンシステム=UNIXによる分散処理」が暗黙の定義になっている。
 特集の表題を列挙してみよう。1988年12月5日号「2つのUNIX」(副題は「オープン・システムの旗印の下,異なる方向性示すAT&T,OSF両陣営」),1989年11月6日号「運用コストを抑制するダウンサイジングの潮流」,1991年10月7日号10周年記念特集ダウンサイジング「ホストなき世界の到来」(この特集の冒頭に,「思想 オープン・システムに基づく分散情報システム確立へ」とある),1991年12月16日号「見え始めたオープン化時代の分散処理環境」,1992年6月29日号「UNIX,ビジネス分野へ本格的に浸透し始める」,1992年12月14日号「機能で先行する現実解,迫りくるオープン化の波」(これは統合開発環境の特集)。
 90年代に入ると日経コンピュータに,クライアント/サーバーという言葉が登場する。UNIXのほかに,パソコンLANという選択肢も出てくる。1993年4月,当時の日経コンピュータの編集長は自ら「日経オープンシステム」(現・日経システム構築)を創刊し,新雑誌の編集長に異動した。この編集長の名言「オープンシステムとは『広いココロで作った情報システム』」は前回記者の眼で紹介した。
 資料室には日経オープンシステムのバックナンバーもあるのでながめてみた。創刊当時の一行説明文を見ると「WS・PC・LANによる情報システム構築・活用のための専門実務誌」とある。創刊前に出す準備号の特集はクライアント/サーバー,準備2号の特集はパソコンLANであった。
 創刊号(1993年4月号)の特集は「エンドユーザー・コンピューティング 使い手が作る業務情報システム」である。この特集を書いたのは,井上望記者と高橋信頼記者であり,井上は現在,IT Proの編集長を務めている。高橋はIT Proで主にオープンソース関連の記事を担当しており,昨年,もっともアクセスが多かった記者の眼「さらば巨大ブラウザ――Netscapeの失敗が生んだFirefoxの挑戦」の筆者でもある。
 1990年代の後半に入ると日経コンピュータの特集に変化が見える。さすがにUNIX一辺倒は薄れ,今度はインターネットとJavaに肩入れするようになった。1996年7月22日号に「Javaが走り出す」という特集が掲載されたのを皮切りに,日経コンピュータは「Javaとともに走り出し」,何回もJavaの特集を組んでいる。1999年10月25日号には「オープン・ソース時代の幕が開く」という特集も掲載された。

日経コンピュータとは何か
 以上,日経コンピュータが過去23年間掲載した特集のうち,オープンシステムあるいはオープンにかかわるものをざっと眺めてみた。正直言って,オープンシステムという言葉を厳密に定義して使っていたわけではない。ただIBMやマイクロソフトによる独占より多様な選択肢があったほうがよい,という考え方は一貫していたと思う。もちろんUNIXやJavaへの過度の肩入れについてはいささか辛い評価を下さざるを得ないし,「持ち上げては落とす」といった印象を読者に与えてきたことは要注意点であると15年間在籍した筆者は認識している。
 その上であえて言わせていただくと日経コンピュータは常にジャーナリズムであった思う。その時々の話題,できれば少し先行した話題を発掘し,読者に提供するのがジャーナリズムである。ただし,新しい話だけがすべてのように,万能のように書いてしまうのは確かにまずい。それは以前書いた「ORの抑圧」に屈していることになる。
 「オープンとは広いココロ」と述べた,かつての日経コンピュータ編集長と3年ちょっと前に議論をした。議論の内容を再現する。

谷島 「あなたが次から次へと雑誌を作ったから、日経コンピュータの位置付けが曖昧になったのではないか」
元編集長 「んなことは関係ないですよ。創刊時から日経コンピュータは特定分野だけを追う専門誌ではないし,入門誌でもない。要は,コンピュータ・ジャーナリズムっちゅうことですよ。その点は昔も今も同じ」
谷島 「ジャーナリズムとは何か。ニュースを書くことか」
元編集長 「ジャーナリズムってえのは新鮮な情報を読者に提供すること。新鮮なら数10ページの特集であってもニュース」
谷島 「新鮮かどうかは誰が判断するのか」
元編集長 「自分ですよ。要は記者本人にどれだけの思いがあるかですよ。編集長だのデスクだの社長など,誰が何を言おうがまったく関係ないですよ」
谷島 「・・・・・・」

久方ぶりに古巣とかかわる
 「記者の眼はコラムなので何を書いてもよい」と井上編集長に言われており(編集部注:「谷島さんのことは信頼してますから自由に書いてください」と言ったつもりであった・・・),これまでも好き勝手をさせてもらったが,今回はかつてなく身内の話が多かった。新年早々ということでご了承いただきたい。私事続きだが1月1日付で筆者の肩書きが変わったので,この場を借りてお知らせする。以下は情識でお伝えした内容に基づいている。
 日経ビズテックの編集委員は引き続き務める。日経ビズテックをもっと充実させるべく,努力する所存である。さらに今年から,日経ビジネスと日経コンピュータの編集委員を兼務した。つまり合計三つの雑誌の編集委員を務める。
 2年近い日経ビズテックの開発作業を通じて「ビジネスとテクノロジーの境界にある重要情報」を筆者なりに理解できた。こうした情報を集め,ビジネスとテクノロジーの旗艦媒体である日経ビジネスと日経コンピュータに対しても提供していきたい。
 筆者は1985年4月から記者になったので2005年3月末を迎えると,記者になって丸20年となる。20年選手なりの記者活動を三媒体で展開し,古巣である日経コンピュータについては,少しでも恩返しができればと考えている。「日経コンピュータの報道に一貫性がない」という読者の苦言に対しては,実際の記事で応えていきたい。
 ただし筆者の本籍は日経ビズテックにあり「テクノロジーを活かして新ビジネスを創造する」という日経ビステックのテーマを中心に取材と執筆を進めるつもりである。三媒体兼務は社内外で混乱を招いており,年末に引っ越しをしたときに「君は日経コンピュータに戻るのだからビズテック編集部で机はいらないな」と言われてしまった。年明けに人事情報システムを見たところ,筆者の所属が日経コンピュータになっており,お願いして修正してもらった。さらに取材先の方々が「日経コンピュータに復帰されたそうですね」というメールを送ってきた。「引き続き日経ビズテックにいます。戻っていません」と返信しているところである。
 なにはともあれ,IT Pro読者の皆様,本年もよろしくお願いします。

(谷島 宣之=日経ビズテック編集委員兼日経ビジネス編集委員兼日経コンピュータ編集委員)

Posted on 1月 7, 2005 at 10:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050107 初酒

050106_2003_SaiSai 山の上での焼き肉や流し素麺はもちろん、山の帰りに飲食する機会が多いのですが、会社の帰り道で飲んだり食べたりする機会はあまりありません。何となく家に帰った方が落ち着くからか、主夫らしい経済感覚が働いてしまうのかも知れません。でも誘われて断ることは今まで一度もありませんでしたから、昨夜もNWHさんに誘われたのを幸い、地元・灘の水道筋にある「菜彩」という焼酎の品揃えのよい店に行きました。
最近は焼酎ブームだそうで、先客は女性のペアが二組、好い雰囲気の飲み屋さんですから、女性も入りやすいのでしょう。
水道筋6丁目/遊食館・菜彩
 ついでに、水道筋というのはなぜ水道筋なのでしょうか?そのうちに調べておきますが、昔神戸市の水道局の建物か何かがあったのかも知れません。現在は1丁目から6丁目まで約1km延々と商店街が続いていますが、それだけではなくて、水道筋の山側には細い入り組んだ横丁が何本も通っていてそこに間口半間(90cm) 程度の小さな店が数百軒も軒を連ねていて、昔ながらの公設市場というものがあります。こういった市場は昭和50年代までは大阪を中心に各地にあったと思いますが、今は郊外に住宅地が広がったのとコンビニの進展でめっきり少なくなっているでしょう。灘の水道筋、春日野道の大日市場も東西に延々と続いていますから神戸の台所は健在です。
 さて、「菜彩」は遊食館という名前の通り、マスターのこだわりの創作料理が色々あって、ボリュームはありませんが、女性にも人気があるのは当然です。我々の目的は食い気よりも焼酎ということで、きよもりは黒佐藤を2杯と久しぶりに森伊蔵を飲みました。値段としては伊佐美や黒佐藤は500円前後ですが、さすがに森伊蔵は1杯1050円。
冬場なので、合鴨のはりはり鍋と最後におなかを作った地鶏の雑炊が焼酎とよく合いました。

 京都駅の地下街にある「味彩や」も焼酎の品揃えがよいのですが、あちらは京のおばんざいが中心。価格帯としては京都の方が少し安いような気がしました。
京都駅地下街ポルタ/おばんざい居酒屋・味彩や
 

追記:「灘中央地区まちづくり協議会」に由来がありました。
灘中央地区にある「水道筋」の名前の由来は、水道管が道路に埋められていることからきています。この水道管、今でも現役で水道水を送っている。(解説)昭和初期に埋設した水道管の中に新しい水道管を入れるなど補強して、現在も現役で活躍しています。

Posted on 1月 7, 2005 at 06:30 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.06

050106 電脳煩悩76:ブログの勧め

 ブログはこの記事にもあるとおり、一昨年の年末に大手のプロバイダーとして初めての@niftyが参入したのをきっかけにして、NTTやNECなども含めて、参入が相次ぎ昨年後半からは予測通り企業での利用が始まりました。
企業での利用方法はユーザーとの双方向コミュニケーションツールとしての利用方法、社内のグループ内での閉鎖的利用など使い方も少しずつ拡大しつつあるようなので、楽しみです。
 個人的には、日記的な書き込みが丸一年続いていますが、これは読んでおられる方々に意見を書き込んだりそれを元に議論したりの環境や慣れがまだ未成熟だからかもしれません。きよもりの場合は、昔から何でも新しいものには飛びつくのが習いになっていますので、ブログもそのパターンで始めてみました。でも、昔から日記なんて書いたこともないのに、よく一年間毎日休まず続いたものだと自分ながら感心しきりです。

 日本でブログサポートやコンテンツ開発子会社をを立ち上げたブログ発祥の地アメリカのシックス・アパートの日本法人社長のインタビューが掲載されていましたので、引用させていただきます。

以下は記事の引用です。 

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/special/0501/interview/sixap.html

NIKKEI_ITmedia_Enterprise_LOGO

NIKKEI_Shinsyun_Interview2005
 

050106_TYTLE01_ti_sixap


 2003年末にニフティがココログを始めたあたりから、国内でもBlogが一般的なものとなり始めた。一般ユーザーだけではなく、企業もBlogに注目する中、個人から法人、サーバーサイトからサービスといった4つの軸すべてに対しBlogソリューションを専業的に提供している強みが発揮されるとシックス・アパートの関氏は話す。

ITmedia 2004年はどんな年でしたか。

 2003年12月に日本法人の登記を行い、2004年3月に日本法人設立の発表をしましたが、その発表以前では、Blog自身が国内で根付いているのか誰もが半信半疑の状態でした。つまり、1年前の時点では、Blogが何か答えられる人は、かなり感度の高い人たちの中でも少なかったといえます。ましてや、法人がBlogの技術を使ってWebによるパブリッシングを変えていくという話など絵空事でした。

ITmedia Blogのビジネス利用にはかなり懐疑的な状態だったように思います。

 何でいまさらBlogのようなものが必要となってきたのか意味が分からないという見方もあれば、そもそも、掲示板と何が違うのか、という見方もありました。それが2004年の最初のころですね。

050106_SYASHIN_01_cap_sixap こうした状況下でISPは比較的早く動いており、2003年12月にニフティがココログを始めたのを皮切りに、2004年3月までに主要なISPはBlogをサービスに加えました。2003年末の時点では、ISP各社がBlogのサービスを提供するのは、2004年9月ごろだと予想していました。年度中には間に合わないだろうと思っていたのです。しかし、実際はわれわれの予想よりも早くマーケットがBlogに対して動きました。ニフティの動きをもって各社が真剣に考えたともいえますが、企業の判断としてあんなに早くサービスインしたのは驚きました。

 3月の日本法人設立発表のころには、多くの企業ユーザーから問い合わせがありました。このころになると、「Blogは何かビジネス利用できるはずだが、具体的にどういったことができるか分からないので相談に乗ってほしい」という感じの声に変わってきました。

ITmedia 結局のところ、Blogはインターネットの何を変えたのでしょうか。

 簡単に言うと、Webの更新を簡単にしたということでしょうか。構築という点では、Webを簡単に構築するツールやサービスは昔からありました。しかし、Blogほど管理を含めて簡単に情報の更新ができるツールというのはそれまでありませんでした。またオペレーションが簡単になるだけでなく、携帯など、さまざまなシーンから容易に更新が行えるというのが大きく違うのではないでしょうか。10年前インターネットとWebでこんなことができる、と語っていた世界が、やっと誰にでもできるようになったという印象があります。

法人は顧客満足度の向上とコミュニケーションの改善を
ITmedia 法人ユーザーもBlogには興味を示しているといいます。

 日本はアメリカと逆で、TypePadが先に出てきて、Movable Typeがあとという流れでした。TypePadのほうはニフティやOCNといったISPが利用されることでユーザーベースが増えました。一方、Movable Typeはターゲットが法人であることと、アメリカでも結局2年ほどたって認知され始めたということもあり、正直、立ち上がるのには時間がかかると思っていました。しかし、実際にふたを開けてみると、すぐに売り上げが立ち上がるような状態で、そのユーザーも1カ月目こそ個人と法人が半々でしたが、すぐに法人の割合が高くなりました。これはうれしい誤算でした。

ITmedia 法人はBlogを導入することで何を変えたいと願っているのでしょう。

 一般的にいうなら、Blogの導入でWebの部分に関する効率化を図り、コストダウンするためでしょう。もう一つ挙げるとすれば、対顧客とのコミュニケーションです。顧客満足度の向上というのはかなり以前から言われてはいますが、具体的な部分として、顧客とのコミュニケーションが重要となります。そのために営業が顧客と対面する、メールを書く、などしてきましたが、これまではWebというものがうまく活用できていなかったように感じます。しかも、Webの部分で顧客満足度を上げるために、例えば、初期のころはSEOのようなものが盛んに言われていましたが、それをやっていこうとすると手間もコストもかかってしまう。しかし、Blogではそれが知らず知らずのうちにできている。このようなことも大きなインセンティブだと思います。

ITmedia 対顧客ではなく、イントラネットでBlogを使うという例も見られるようになってきました。

 10年前ですと、メールを社内でどう使うかが真剣に議論されていました。しかし今では業務でメールを使わない人が少数派となりましたよね。当時、紙と電話だけあればいいといった人たちにメールが浸透していったように、今、Blogが浸透しつつあります。

 情報のシェアという観点であれば、人と人とのコミュニケーションをオンラインでやろうとするとBlogのような形態がマッチしているのではないかと思います。まれに、Blogが掲示板を駆逐する、といったような見方をされることもありますが、実際にはそうはならないでしょう。掲示板はトピックなどを並べるにはよいですが、そこに抜けているのは、個人、という視点です。つまり、個人のものをパブリックでシェアするという場合にBlogはフィットしていると思います。

ITmedia 既存のナレッジマネジメントなどは、横方向の情報はうまくシェアできますが、上司や部下など、縦の関係になるとうまく機能していない部分があります。そうした部分にもBlogがうまくフィットするのでしょうか。

 うまくいかない場合に多いパターンとしては、ツールに頼ってしまうケースが多いです。例えばグループウェアを導入したからナレッジマネジメントが進むわけではありません。Blogにしてもどういった目的があり、それを解決するためにどういった意識が必要なのか理解していないと、また使われないツールが一つ増えた、と現場に思われるだけで終わってしまいます。それはどんなツールでも同じです。

市場にあった進化を遂げるBlog
ITmedia ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)のようなサービスをはじめとし、さまざまなサービスと親和性が高いように思います。

 Blogはログ、つまり経年的な変化を含めた情報の蓄積であり、個人の内面的なものが多分に含まれます。その意味では、コンテンツを蓄積していくものだといえます。一方、SNSは相手とのコネクションなど、ポインタ情報とでもいうべきもので、そこには個人の外面的な部分が内包されています。

 Webにおいては、リンクとコンテンツが必ず必要となります。道がないとコンテンツにたどり着けないし、コンテンツなしにリンクもあり得ません。SNSの最初は「人」がコンテンツだったのです。しかし、人の考えることは時間軸で変化するので、そこに日記的な要素を加えると、その一つとしてBlogが組み合わさることもあるでしょう。コンテンツ的な性格を強く持っているが故に、ほかのサービスとの親和性も高いのだと思います。

ITmedia Blogは2005年、どんな方向に進んでいくのでしょうか。

 われわれの製品でそれを示すなら、TypePadとMovable Typeの違いがもう少し顕在化してくるでしょう。今、この2つには本質的な意味でそれほど差はありません。しかし、TypePadであれば、小グループの中のみで閲覧可能にするなどのグループ機能が、Movable Typeであれば、ディレクトリサービスとの連携機能などが求められています。そうしたニーズを満たすものになっていくでしょう。端的に言うなら、TypePadはより使いやすく、Movable Typeはより高機能になるのです。

050106_SYASHIN_02_ny_sixap

関連記事
企業向けBlog情報ポータル「Blog on Business」開設  
MT 3.1で企業構築支援のライセンスパックを出荷  
シックス・アパート、Movable Typeの法人向けパッケージ・ライセンスの販売を開始  
シックス・アパートが法人向けのBlogサービスを強化  
シックス・アパート、TypePad Japanを開始  
Movable TypeでBlog文化を創り上げた男、Six Apart平田氏に聞くMTとBlogの今後  

関連リンク
シックス・アパート 
[ITmedia]

 ITmedia  about ITmedia |  利用規約 |  プライバシー |  サイトマップ |  お問い合わせ 
 SOFTBANK_sbplogo

ITmediaはソフトバンク・アイティメディア株式会社の登録商標です。

Posted on 1月 6, 2005 at 07:47 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.05

050105 拝復47:ホッとしました

050105_SukaiSan O子様
 お手紙をいただいておりながら、返事が遅れまして誠に申し訳ありません。
 年明け早々何となく気持ちの切替が出来ないままにパソコンに向かう時間も取れず、初詣登山(摩耶山)、昨年末の積み残し登山(船坂谷)とクリアした翌日は、母親との清荒神詣と息継ぐ暇も無く遊び呆けておりました。
 年明けは天候にも恵まれて列島各地共に大変佳い三ヶ日だったと思います。今年こそ昨年のような人災天災の頻発がありませんよう、日々平安をお祈りしたいものです。
 今年の一年を見通す時間的な余裕はまだありませんが、年齢相応の無理をしない登山と、昨年より気持ちにも実際の時間でもスケッチをするくらいの余裕を持った山歩計画を立案するようにしたいと思います。
 まだお約束は出来ませんが、8月の夏休み8/12~16の間に日光の方の皇海山(すかいさん 2143.6m)へ行きたいと考えていますが、その頃に、もし時間を取っていただけるようであれば、粟野のログハウスへ寄らせていただけたらと考えております。
 機会に恵まれましたらよろしくお願い申し上げます。
ξ
■P きよもり 【山歩仲間】
 ̄ URL : http://morii3.cocolog-nifty.com/
E-mail : KGH03517@nifty.com
_/_/_/_/_/ 05.01.05 15:8 _/_/_/_/_/



050105_matsu_osan きよもり様

 今年はとうとう大晦日の天候まで異例となりました。きよもりさんの今年最後の山行をココログで辿りつつ、〈このメールはここで年を越す事になりました〉故にここからはもう2005年1月1日の夜です。
 明けましておめでとう御座います。年を跨いでのメールになりましたのは、〈~〉の前に我が家の人口が急増した為です。ココログで少しハラハラしていますと、下山されるという記事で1日はご自宅でお迎えとか、ホット一息ついた所でしたので、そんなわけで年越し蕎麦ならぬ、年越しメールとなりました。ややっこしいので削除しようかと考え下書きを開きましたが何だか少し面白そうで2年越しのメールを送らせて頂く事にしました。
 災害や犯罪の異状に多かった昨年は去り、今年は少しでも平和で明るいニュースが殖えます事を祈り酉年の初めのお祝いとさせて頂きます。
 燕岳の爽やかなタッチのスケッチの御賀状嬉しく拝見致しました。
 主人の足もすっかり快方に向かい、ご心配頂きました事の御礼をと申して居ります。
  O子拝

Posted on 1月 5, 2005 at 03:09 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050105 ココアの効能

 ココアは小学校の頃から好きで、当時からあったヴァンホーテンのスチール缶は今もデザインそのままで販売されていることはご存じの通りです。当時はこのココアの粉末を最初は少しだけ牛乳を入れてムラムラが出来ないようによく混ぜて粒をつぶし、牛乳で倍くらいに伸ばしてからたっぷりの砂糖を入れて吹きこぼれるまで火にかけます。
 最近のインスタントココアはそんな面倒はなくて、水で伸ばして沸かすか、お湯に直接粉末を溶かしたら即できあがりますので、簡単です。
 今回の年末の雪中縦走でもテントを張って最初にしたことはお湯を沸かしてココアを作り、たっぷりのレミーのブランデーを垂らして体の芯から温まることでした。やはり冬はココアが一番ですね。栄養価も多いし、身体にも良いそうなので、せいぜい街中でも愛用しましょう。

以下は日経BP社の健康のテーマページから引用です。

NikkeiKenkouLOGO 「nikkeibp.jp 健康 」

050105_Cocoa_Tytle


050105_cocoa_illust ココアといえば、脂肪分が多くて、甘ったるい飲み物だと思っている人も多いだろう。しかし、赤ワインに含まれる成分として、一躍有名になった「ポリフェノール」が、ココアにも豊富に含まれていることをご存じだろうか。
 実はココアには、飲むと太るどころか、やせる効果がある。特に、夕食後に飲めば、食事で取った脂肪を効率的に燃やしてくれるというからすごい。この効果こそが、ポリフェノールによるものだ。
 ポリフェノールには、体内の有害な活性酸素と結びついて、活性酸素が体内の細胞などを傷つけることを防ぐ“抗酸化作用”がある。さらに、指先などの末端部の血液循環を改善して、血液をサラサラにしてくれる。同時に全身の代謝を高め、脂肪分解酵素の働きを阻害して、脂肪の体内への吸収を抑制する。
 さらに、ココアに含まれる健康によい成分は、ポリフェノールだけではないことも、最近明らかになってきた。このうち代表的な成分が、胃潰瘍や食中毒の原因菌の活動を抑える「遊離不飽和脂肪酸」と、便通を改善する整腸効果が期待される「食物繊維」だ。ココアはまさに“一石三鳥”の健康飲料といえる。

050105_cocoa_ikaiyo
 ココアの抗菌効果については、杏林大学微生物学教授の神谷茂氏らによる報告が幾つか出されている。一つは、Helicobacter pylori(ピロリ菌)について調べたもの。

050105_cocoa_zu
 ピロリ菌は人の胃粘膜にすみつく細菌で、胃潰瘍や胃がんを引き起こすと考えられている。神谷氏らは、ココアや緑茶、ウーロン茶などの飲料について、ピロリ菌の胃粘膜への接着を抑制できるかどうか調べた。すると、ココアには、他の飲料に比べて非常に高い接着抑制効果があることが明らかになった(図)。

 さらに、ピロリ菌をココアを加えた培地で培養したところ、普段飲む濃度(3.5%)のココアを加えただけでも、培養開始から1時間後には菌の数は6割程度に減少し、1日経つと、菌は検出できない数にまで減少したという。
 こうした抗菌効果は、ココアに含まれる遊離不飽和脂肪酸(オレイン酸やリノール酸など)が、ピロリ菌の細胞膜に作用し、菌を結果的に溶かしてしまうためだと考えられている。
 日本は、欧米諸国に比べ、胃がんの患者が多いことで有名だ。このため、専門家の中には、ピロリ菌に感染した患者にココアを飲んでもらうことで、胃がん予防につながるのではないかと期待する声もある。
 また神谷氏らは別の研究で、大腸菌に対する抗菌効果も調べている。ココアを加えた培地で大腸菌を培養した結果、普段飲む濃度のココアの添加でも、培養開始から3時間で、大腸菌が検出できない数にまで減少することが確認された。このほか、歯周病の原因菌の増殖を抑制するという報告もある。

050105_cocoa_fuyu
 もう一つ、注目されているココアの成分は食物繊維だ。ココアの粉末を見ると、食物繊維が豊富とは思えないかもしれないが、粉末の重さの約3分の1から4分の1を食物繊維が占める。
 したがって、ココアを飲むと、食物繊維は胃腸で分解されず、そのまま排せつされるため、便の量が増えるなど、便の質がまず改善する。それに加え、食物繊維は、ビフィズス菌や腸球菌といった、腸内で消化吸収を助ける善玉菌と呼ばれる細菌の栄養分にもなってくれるのだ。
 このような胃腸への効果を重視するなら、胃に何も入っていない空腹時、朝の起きがけにココアを1杯飲むのがお勧めだ。
 ココアは、メキシコが発祥の地。カカオの実から取りだしたカカオ豆を1週間ほど発酵させ、すりつぶしたカカオマスから脂肪分の多くを取り除いたものが「ココアパウダー」だ。中南米諸国では、紀元前10世紀以前からココアが飲まれていたという。当時、ココアは神への捧げ物であり、王族の不老不死の薬と考えられていたとされている。
 折しも、ホットココアの恋しくなる寒い季節の到来だ。ココアの歴史に思いを馳せながら、この冬から朝晩一杯ずつココアを飲み始めてみるのもいいかもしれない。

(小又 理恵子=nikkeibp.jp健康)

〔参考文献〕日経ヘルス 2003 (5) ; 62 : 106-115.
日経ヘルス 2004 (2) ; 71 : 38-48.
日経ヘルス 2004 (10) ; 79 : 56-69.


イラストレーション/川崎のりこ( PLUM GRAFIX


■「nikkeibp.jp健康」12月16日号:その他の最新記事
・健康プラスα:食後の「胸焼け」を防ぐ4つのポイント
・健康プラスα:医師への「質問上手」になろう---「失敗しない医者えらび」第4回
・健康注意報:2005年は10年に1度の花粉症当たり年!?
・漢方早わかり:「固太り」「水太り」にタイプ分けして肥満治療
・私の本棚:地球環境を左右する「ちりも積もれば山」---『小さな塵の大きな不思議』(ハナ・ホームズ=著)


NikkeiKenkou_ModoruLOGO

Posted on 1月 5, 2005 at 01:05 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.04

050104 正月も終り

050104_123501.jpg 年末の大荒れとは打って変わって年明けは暖かくて佳い天気が続きました。
 昨日は清荒神から梅田、難波、心斎橋と85歳とは思えない健脚振りを発揮した母も流石に今日は三ノ宮で食事をして、芦屋にいる兄を訪ねてから尾道に帰るということなので、芦屋川まで同行して、タクシーに乗せて別れました。
 こんだけ元気だと電車に乗っても誰も席を立ってはくれませんし、座りたいとか、疲れたと言わないのは、たいしたものです。
 明日からは、仕事ですがまた週末から3連休なので、重廣さんに同行させていただいて、鈴鹿峠から南へ縦走する予定です。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 4, 2005 at 01:00 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.03

050103-2 今日もココア

050103_140202.jpg 初詣から梅田に出てきて阪急17番街でユッタリと寛いでいます。
やはり、疲労回復にはココアが一番ですね。
これからミナミへ出てマムシでも食べることにします。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 3, 2005 at 02:12 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050103 清荒神初詣

050103_113901.jpg050103_121401.jpg 母は毎年1月に清荒神初詣に来ます。例年なら松之内を外して人出が落ち着いた月末になることが多いのですが、今回は三ヶ日に同行しました。ひとの波に揉まれて山歩きと違った神経をつかいました。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/


Posted on 1月 3, 2005 at 01:35 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.02

050102-4 灘温泉直行

050102_180901.jpg 大阪では、銭湯に○○温泉と名前を付けるのが普通で、神戸でも摩耶温泉は銭湯ですが、この灘温泉は本当の温泉で、なんと340円です。自宅から10分かかるのが唯一の問題ですが、正月も関係なく6時から24時までやっていますから根性が座っています。
脱帽!!
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 2, 2005 at 06:50 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050102-3 六甲も甘くない

050102_145201.jpg050102_152901.jpg 川上の滝は近寄れず命がけで右岸の急な雪壁をよじ登って、滝上の堰堤に降り立ちました。
最後は予定通り鳥居茶屋跡手前に出ました。もう遅いので安全のため芦有道路を下ります。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 2, 2005 at 03:40 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050102-2 バスに乗れずに塞翁が馬

050102_094701.jpg 宝塚から蓬莱峡経由有馬行きのバスは、一時間に2本のはずが12月から3月は9時35分発は運休で10時5分まで40分も待たないといけません。SARAHという喫茶店でブランデー入りのココアをたのんで寛ぎました。
勿論ブランデーは持参品です。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 2, 2005 at 10:07 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

050102 今日は快晴

050102_084501.jpg 昨日も午後からは雲が切れましたが、今朝はモッタイないような快晴で、昨日と入れ替わっておれば、見事な初日の出が拝めたのに少し残念です。
 こちらへ来て毎年元旦は山の上で迎えていますが、スッキリ晴れたことがありません。こればかりは時の運です。
 と言うことで、今日は干していたテントや寝袋等を片付け、替わりに干場所が無かった山で濡れたシャツ、手袋、靴下などを干したり、アイゼンでカギ裂きした雨具をアテ布して修理しているうちに出遅れましたが、8時30分から船坂谷へ出発しました。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 2, 2005 at 09:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.01

050101 明けましておめでとうございます

050101_064801.jpg 昨夜は灘温泉から帰って、山中で送れなかった携帯メールを整理しながら1時過ぎに寝てしまい、目が覚めたら5時でした。
 日の出は7時過ぎ、急いでヤッケとカメラを昨夜片付けた荷物から再度出してサブに詰めて飛び出しました。摩耶ケーブルの始発6時に間に合いました。
 ところが、ケーブルからロープウエイに乗り換えて掬星台が近付くに従って山上は完全に雲の中。展望台には20cm近くも雪が積もっていて、アベックは勿論人ッ子一人いません。
 初詣に目標を切り替えて、2年連続で摩耶山天上寺に初詣となりました。
ζ きよもり
_/_/_/_/_/_/

Posted on 1月 1, 2005 at 07:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)